日本のおかしい有名未解決事件ランキングTOP60!解決した事件の結末がヤバイ!

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安全で平和な国と言われている日本ですが、実は、不可解で目を覆いたくなるような残虐極まりない事件が多数起きています。

そして、警察の懸命の捜査にもかかわらず、2023年まで犯人逮捕に至っていない未解決事件が多くあることも事実です。

今回は、そんな怪事件をランキング形式、年代別でまとめてご紹介していきたいと思います。

ーこの記事でわかることー

  • 日本で起こった60の未解決事件について
  • 犯人がわかっているのに捕まらない理由
  • 解決できた過去の未解決事件は?

顔まで判明しているのに逮捕に至っていないものなど、遺族にとってはいたたまれない事件も多数ありました。

常識では考えられないおかしい事件や、有名な怪事件などを歴代日本の犯罪をランキングし犯人像の真相を探っていきましょう。

中には、残虐でショッキングな内容が含まれているものもあります、その点をご了承いただきお読みください。

目次

日本のおかしい有名未解決事件ランキングTOP30!

まずは、未解決事件の中でも有名な事件TOP30を紹介していきたいと思います。

不気味でぞっとする恐ろしい事件、発生当初はみな犯人に怯え、一日も早い事件解決を望んでいました。

世間を騒がせた凶悪事件も、時間とともに忘れ去られてしまいがちですが、被害者や遺族の無念さを思うと、決して風化させてはならないのです。

それでは順に事件を振り返って行きたいと思います。

おかしい未解決事件30位:日本橋室町一丁目チケットショップ内女性店員殺人事件

2004年9月27日「日本橋チケットショップ内女性店員殺人事件」は発生しました。

その日午後6時50分頃、東京都中央区日本橋室町にあるチケットショップ「ビックチケット日本橋店」内に、刃物を手にした中年の男が突然侵入しました。

そして、一人で閉店作業をしていたとみられる女性店員(当時37歳)に襲い掛かり、持っていた刃物で胸や腹部等数か所を刺し、逃走。

警報装置が作動したため、5分後の午後6時55分頃駆け付けた警備員によって被害者は発見されましたが、その後病院で死亡が確認されました。

その後の警察の発表で、店内の防犯カメラに犯人と思われる男が映っていたこと、犯人の遺留品と思われる紳士用の傘が残されていたこと等がわかりました。

この事件には、延べ1万人以上の捜査員が動員されましたが、犯人の映像があるにもかかわらず、未だ犯人逮捕には至っていません。

今現在も警察による捜査は続けられ、情報提供を呼び掛けています。

おかしい未解決事件29位:悪魔の詩訳者殺人事件

1991年7月11日悪魔の詩訳者殺人事件」は発生しました。

この日、筑波大学助教授の五十嵐一さんが、大学キャンパス内のエレベーターホールで殺害されているのを、女性清掃員が発見しました。

首には頸動脈まで達するほどの刺し傷が3箇所あり、切断寸前だったといわれています。

右側胸部と腹部にも複数の刺し傷があり、一部は肝臓にまで達する深さだったそうです。

目を覆いたくなるような残忍な犯行、首を切られるという殺害方法はイスラム式の処刑であると報じられました。

引用:デイリー新潮

それでは、なぜ五十嵐さんはこのような残虐な殺され方をしなければならなかったのでしょうか。

事件の背景には、見出しにもある「悪魔の詩」が深く関わっているものとみられています。

イギリス系インド人作家サルマン・ラシュディ氏によって執筆された小説「悪魔の詩(原題:The Satanic Verses)」の日本語訳を担当したのが五十嵐さんでした。

この「悪魔の詩」は、イスラム教徒を揶揄する内容が多く書かれており、イスラムに対する挑発であると言われ、イスラム社会では禁書とされる曰くつきの作品でした。

当然イスラム教徒からは激しい反感を買い、当時のイラン最高指導者ホメイニ氏により「悪魔の詩」にかかわった全ての人間に対して死刑宣告されました。

五十嵐さんは間違いなくこのイスラム社会の禁書「悪魔の詩」を訳したことによる報復として殺害されたのでしょう。

その後の捜査で、現場には五十嵐さんのものとは異なるO型の血痕と、27.5㎝の中国製カンフーシューズと思われる足跡が残されていました。

当初警察は、筑波大学に短期留学中だったバングラディシュ人の学生を容疑者としてマークしていたようです。

しかし、この容疑者は事件発生翌日の1991年7月12日昼過ぎに成田空港から出国、バングラディッシュへと帰国していました。

イスラム諸国との関係悪化を懸念して、日本政府はこの留学生に対する捜査を打ち切りにしたとの情報もあります。

そして事件は解明することなく、2006年7月11日に時効が成立し未解決事件となりました。

おかしい未解決事件28位:グリコ・森永事件

「グリコ・森永事件」とは、1984年・1985年に発生した連続脅迫事件です。

1984年3月、江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求する事件が発生、社長は自ら脱出し無事でしたが、この誘拐事件を皮切りに推理小説さながらの脅迫事件が連続で発生することになるのです。

「かい人21面相」と名乗る犯人グループは、その後も江崎グリコに対して脅迫や放火を起こし、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋などの食品企業に対しても次々と脅迫事件を起こします。

しかし、いざ現金の受け渡しとなると、犯人グループは受け渡し場所を二転三転させ、捜査を撹乱させるばかりで一向に姿を現さないのです。

そんな中、現金受け渡しのやり取りの中で、2度ほど犯人の一味と思われる怪しい男が目撃されています。

引用:文春オンライン

なかなか犯人グループにたどり着くことが出来ない中、執拗な脅迫は続いていったのです。

『森永の どあほどもは テープと 青さんソーダの かたまりと 青さんいりの かし おくったのに 信じへんで けいさつえ とどけおった わしらに さからいおったから 森永つぶしたる 青さんいりの かし 50こ よおい してある』 (1984年10月7日投函分、一部抜出)

引用:集英社オンライン

そして、この恐ろしい脅迫文に書かれていることが実際に起こってしまったのです。

大阪、兵庫、京都、愛知で相次いで発見された「どくいり きけん」のメモが貼られた森永の製品、それらには実際に青酸ソーダが混入していることがわかり、世間を不安と恐怖に陥れました。

企業へ次々と送られてきた脅迫状、そして報道機関へは挑戦状と思われるものを送り付けてくるなど、日本社会全体を巻き込んだ劇場型犯罪と呼ばれたこの一連の事件は、2000年2月13日に時効を迎えました。

犯人グループの目的はいったい何だったのか、謎の多いこの事件も未解決に終わっています。

おかしい未解決事件27位:パラコート連続毒殺事件

「パラコート連続毒殺事件」は1985年4月~11月にかけて、日本全国で発生した無差別連続殺人事件です。

パラコートとは、当時日本で最も多く使用されていた除草剤のひとつで、犯人はあらかじめ購入しておいた飲み物にパラコートを混入、蓋をした後自動販売機の取り出し口に置いておくという犯行を繰り返しました。

そして、不運にもそれを口にしてしまった12名もの尊い命が奪われてしまったのです。

1985年4月30日 広島県福山市の自動販売機
トラック運転手(45歳)が飲み物を購入時、自販機の上に置いてあったオロナミンCを飲み、5月2日死亡。吐瀉物からパラコートが検出されたました

1985年9月11日 大阪府泉佐野市の自動販売機
男性(52歳)が釣りの帰りにオロナミンCを購入、取り出し口に同じ商品がもう1本あることに気づき2本とも持ち帰ります。帰宅後に飲んで9月14日に死亡。飲み残しからパラコートが検出されました。

1985年9月12日 三重県松阪市の自動販売機
大学生(22歳)が、自宅近くでリアルゴールドを購入、
取り出し口にもう1本同じ商品があることに気づき2本とも持ち帰します。帰宅後に飲んだところ14日死亡しました。
除草剤のひとつであるジクワットが検出されました。

1985年9月19日 福井県今立町(現越前市)の自動販売機
男性(30歳)が自動販売機の下に置いてあったコーラを飲んだところ気分が悪くなり病院に駆け込みましたが、9月22日に死亡しました。胃洗浄、飲み残したコーラの両方からパラコートが検出されました。

1985年9月20日 宮崎県都城市の自動販売機
男性(当時45歳)が自動販売機で飲み物を買おうとしたところ取り出し口にリアルゴールドが2本あるのを見つけて持ち帰ります。帰宅後に飲んだ直後、体調不良を訴えますが9月22日に死亡しました。飲み残しからはパラコートが検出されました。

1985年9月23日 大阪府羽曳野市の自動販売機
男性(50歳)が飲み物を買おうとしたところ、取り出し口にオロナミンCを2本見つけ、2本とも持ち帰ります。9月25日に飲んだ後、翌日に容体が急変し10月7日に死亡しました。パラコートが検出されています。

1985年10月5日 埼玉県鴻巣市の自動販売機
男性(44歳)が飲み物を買おうとしたところ、取り出し口にオロナミンCが2本あるのを見つけて2本とも持ち帰ります。翌日飲んだ後、10月21日に死亡に死亡しました。飲み残しからパラコートが検出されています。

1985年10月15日 奈良県橿原市の自動販売機
男性(69歳)が、飲み物を買おうとしたところ取り出し口にドリンクが2本あるのに気づき、2本とも持ち帰りました。帰宅して飲んだ後、11月13日に死亡しました。飲み残しからパラコートが検出されました。
1985年10月21日 宮城県
男性(55歳)が同様に死亡しています。
1985年10月28日 大阪府河内長野市の自動販売機
男性(50歳)が、取り出し口にあったオロナミンCを見つけて飲み、1か月後に死亡しました。パラコートが検出されています。
1985年11月7日 埼玉県浦和市(現さいたま市)の自動販売機
男性(42歳)がオロナミンCを購入したところ取り出し口に2本あることに気づき2本とも持ち帰ります。帰宅後に飲んだ後11月16日に死亡しました。
1985年11月17日 埼玉県児玉郡の自動販売機
女子高校生(17歳)がドリンクを購入した際、取り出し口にコーラを見つけ持ち帰ります。コーラを飲んだ1週間後に死亡しました。飲み残しからパラコートが検出されました。

事件当時、パラコートは18歳以上で身分証を提示すれば、農協などで購入が可能であったことから、犯人は18歳以上で農業関係に詳しい人物ではないかと推測されていました。

しかし、指紋や遺留品が全く見つかっておらず、当時は防犯カメラの設置率も低かったためか、懸命の捜査も虚しく、未だに全ての事件が未解決のままです。

おかしい未解決事件26位:岩井市女子高生殺害事件

「岩井市女子高生殺害事件」は2004年6月20日に発生しました。

その日午前7時前頃、茨城県坂東市(当時は岩井市)の利根川沿いにある排水路脇の草むらの中で、女子高生の平田恵里奈さん(当時16歳)がうつぶせに倒れているのを通りかかった男性が発見しました。

平田さんは、発見された時点で意識不明であったもののまだ息はしており、すぐに病院に搬送されましたが、残念ながらその後死亡が確認されました。

死因は首を絞められたことによる窒息死で、平田さんが発見当初首から下げていた携帯のストラップが犯行に使用されたものとみられます。

平田さんは、靴を履いていませんでしたが靴下が汚れていなかったため、別の場所で殺害された後、発見された場所に遺棄されたようです。

被害者となった平田恵里奈さんが殺害されるまでの行動を振り返ってみましょう。

2004年6月19日午後2時頃、平田さんは友人4人で自宅から12km離れたファミレスで食事をした後、一旦帰宅します。

翌20日午前0時頃友人と2人でファミレスに再来店します。

同日午前4時から5時頃の間に、平田さんはファミレスの正面にあったコンビニを3度にわたって訪れていることが防犯カメラによって確認されています。

2回目にコンビニを訪れた際、ナイフが付いている工具を購入していることがわかっています。

午前5時45分頃、平田さんのプリペイド携帯電話から警察に3回ほど通報が入りました。

1回目は会話をすることなく切れてしまいましたが、その後「財布をすられたので最寄りの警察署の電話番号を教えて欲しい」という内容の110番通報が2回入りました。

警察は、最寄の境警察署の電話番号を平田さんに伝えましたが、その電話から約1時間後に意識不明で倒れている平田さんが発見されることになるのです。

この1時間の間に、平田さんの身にいったい何が起こったのでしょうか。

最初に訪れたコンビニから1キロ離れた別のコンビニにで平田さんの自転車が発見されたことから、平田さんは午前5時頃このコンビニに向かったと見られます。

しかしこのコンビニは午後11時に閉店しているため、誰かと待ち合わせをしていたとの見方もあるようです。

最初のコンビニでナイフ付きの工具を購入したのも、護身用のためであった可能性も考えられます。

事件発覚後、「平田さんに携帯を買い与えたのは自分である」とひとりのスリランカ人男性(当時36歳)が警察に出頭しますが、不法残留だったためその場で即逮捕となりました。

調べに対し、男性は事件への関与を否定しており、事件当日のアリバイもあった上、証拠も見つからなかったため犯人とは特定されませんでした。

茨城県警は現在も事件に関する情報提供を呼び掛けています。

おかしい未解決事件25位:青酸コーラ無差別殺人事件

「青酸コーラ無差別殺人事件」とは、1977年1月と2月に東京と大阪で起こった無差別殺人事件のことを言います。

最初の事件は1977年1月3日午後11時半頃発生しました。

冬休み中東海道新幹線のビュッフェでアルバイトをしていた男子高校生(当時16歳)が、アルバイトを終え東京都港区の宿舎へ戻る途中、品川スポーツランド(現品川プリンスホテル)正面の公衆電話に未開封のコーラが置いてあるのに気づきます。

そのコーラを宿舎に持ち帰り、翌4日の午前1時過ぎに飲んだところ、男子高校生は異様な味を感じたためすぐに吐き出し口をゆすぎましたが、その後突然意識を失って倒れてしまいました。

直ぐに病院に搬送され、胃洗浄など懸命な救命措置が施されましたが、残念ながら死亡を確認、死因は青酸中毒でした。

事件現場に残されていたコ-ラのビンから青酸反応が出た確認されたため、青酸入りコーラを使った殺人事件であると断定されました。

引用:時事ドットコム

1977年1月4日午前8時15分ごろ、被害者となった男子高校生がコーラを拾った電話ボックス周辺を捜索していたところ、電話ボックスから第一京浜を約600m北に行った歩道で、男性作業員(当時46歳)が倒れているのを発見しました。

この作業員男性も直ちに病院に運ばれましたが、死亡が確認され、死因は男子高校生と同じく青酸中毒でした。

男子作業員が倒れていた現場近くに、作業員が飲んだとみられるコーラのビンが発見され、残っていたコーラから青酸反応が検出されたのです。

「青酸コーラ無差別殺人事件」で2人目の犠牲者が出てしまいました。

東京での事件から約1ヶ月後の2月13日午前6時20分頃、大阪府藤井寺市在住の会社員男性(当時39歳)が、出勤途中にたばこを買おうと立ち寄った酒屋の公衆電話に、コーラのビンが置かれているのを発見しました。

同僚に止められましたが、男性は、大丈夫と言いながらコーラを飲んだところ突然意識不明となり、病院に搬送されました。

男性が飲んだコーラのビンからは、同じく青酸反応が検出されましたが、男性は幸い一命を取り留めました。

ところが、退院をした翌日にこの男性が自宅でガス自殺をしているのが発見されたのです。

遺書はなかったものの、自殺する直前に家族に対して「東京の事件を知っていながらこの様な事態を起こしてしまい世間に顔向けができない」などと漏らしていたそうです。

この大阪の事件では、「男性がコーラを飲んでいる場面を実際にみた者が一人もいない」「男性には青酸中毒特有の症状はみられなかった」との報道もあり、男性の自殺の理由も含めて謎が残る事件です。

その後ほとんど同時期に、東京で怪しいチョコレートが発見されるという事件が複数件発生しました。

「青酸コーラ無差別殺人事件」との関連はわかっていませんが、模倣犯と見られているようです。

一連の連続無差別殺人事件も、模倣犯と思われる事件も、指紋や証拠が見つからないため、懸命の捜査も虚しく1992年1月4日午前0時に時効が成立し未解決事件となりました。

被害者を2名出したこの「青酸コーラ無差別殺人事件」は、模倣犯と思われる事件まで発生してしまうほど、日本中を震撼させ、社会的影響も非常に大きい事件だったと思われます。

おかしい未解決事件24位:名古屋ホストクラブ経営者拉致殺害事件

2001年9月1日「名古屋ホストクラブ経営者拉致殺害事件」発生しました。

この日午後11時頃、名古屋市中区富士見町の路上で、帰宅途中の風俗店経営者の男性(当時54歳)が、作業着とヘルメットをかぶり工事作業員に扮した10人前後の集団に襲われたのです。

男性は、数発の銃撃を受けて倒れた後も暴行を受け、車のトランクに無理やり押し込まれ、更に至近距離から2,3発の発砲され、連れ去られてしまいました。

犯行の最中、騒ぎに気付いた男性の知人女性が大声で助けを求めますが、女性に気付いた犯人グループはこの女性に対しても発砲、そのうちの一発が女性の首を貫通し重傷を負いました。

この連れ去りの一部始終を、近所で目撃した第三者が撮影をしていました。

かなりショッキングな映像なので、閲覧には十分ご注意下さい。

男性は既にトランク内で死亡していたとみられ、犯人グループは男性の所持金と身に着けていた貴金属等を奪い取り、遺体を損壊した後ドラム缶にコンクリート詰めにして滋賀県彦根市の川に沈めたのです。

その後の捜査で、犯人の一人が携帯電話を現場に落としていたことから、犯人グループの身元が割り出され逮捕されました。

主犯格は、元山口組系暴力団員男性(当時33歳)、人材派遣業男性(当時43歳)、無職の女性(当時30歳)、実行役は人材派遣業で働いていたとみられる日系ブラジル人男性数人(うち2人は逮捕監禁容疑で指名手配中)です。

逮捕された犯人の供述に基づき捜索した結果、コンクリート詰めのドラム缶がみつかり、中には経営者男性とみられる遺体が発見されました。

以前から、被害者男性は加害者男性と路上で言い争っている姿が度々目撃されていて、この事件が起きる前にも集団に襲われ警察沙汰にもなっていました。

どうやら両者の間には金銭トラブルがあったとみられています。

この事件が起きが現場は、名古屋市営地下鉄鶴舞駅の近くで、大通りに面しているため人通りや車通りも多い場所でした。名古屋市営地下鉄の通る大通りに面していたところでした。

しかも、愛知県警中警察署からたった500メートルしか離れていない場所で、大胆にもこのような犯行が行われたのです。

犯行には暴力団が関与している可能性が非常に高いようですが、犯行の様子が写された映像の存在が、世間を更なる恐怖に陥れた事件となりました。

おかしい未解決事件23位:田畑作之介ちゃん轢き逃げ連れ去り事件

1978年3月3日午後4時半頃、大阪府大阪市住之江区の道路上で、自宅近くに住む田畑作之介ちゃん(当時3歳)が車に撥ねられた後連れ去られるという事件が発生しました。

「田畑作之介ちゃん轢き逃げ連れ去り事件」です。

作之介ちゃんは頭から血を流し危険な状態であったため、撥ねた男本人が「どこの子やろ?救急車を待ってられないから自分でこの子を病院に連れて行く」と言い、作之介ちゃんを車に乗せ走り去りました。

作之助ちゃんと一緒にあそんでいたAちゃんはすぐに作之助ちゃんの母親を呼びに行き、一緒に事故現場へと戻りましたが、作之助ちゃんも犯人の車も見当たりませんでした。

その後母親は、犯人の言葉を信じ近くの病院を手当たり次第に探し回りますが、おかしなことに作之助ちゃんが運ばれた病院は見当たらず、慌てて警察に通報。

翌3月4日になっても、作之介ちゃんが病院に運ばれたとの情報がなかったため、大阪府警住吉署は誘拐容疑事件とみて捜査本部を設置し、本格的な操作を開始しました。

作之介ちゃんが車に撥ねられ連れ去られた時刻は、夕方で比較的人通りの多い時間帯だった事もあり、通行人や近くの建築現場の作業員等、少なくとも8人の目撃者がいました。

目撃者の証言をいくつかまとめました。

  • 40歳くらいの中年男性
  • 車は白のカローラとみられる
  • 仕事帰りの時間帯であったがスーツ姿ではなかった
  • 南の方向へと走り去った

モンタージュ写真を作成するなどの捜査が続けられましたが、Nシステムや防犯カメラもまだ未整備の時代であったため、目撃者は多いものの肝心のナンバープレートは判明しませんでした。

懸命な捜査にもかかわらず、1983年3月3日午前0時に業務上過失致死及び略取誘拐罪での時効が成立、その後殺人事件としても時効が成立し未解決事件となってしまいました。

しかしながら現在も連日の様に事件に関する情報が寄せられていることから、捜査本部は専従捜査員15人を配置し、FBI方式で引き続き捜査が進められています。

おかしい未解決事件22位:BOACスチュワーデス殺人事件

1959年3月10日午前7時40分頃、東京都杉並区の善福寺川下流で、BOAC航空(現ブリティッシュ・エアウェイズ)の日本人女性客室乗務員(当時27歳)が水死体で発見されました。

当初は自殺とみられていましたが、翌3月11日司法解剖の結果、何者かによって扼殺された可能性が高いと断定されたため、警察による捜査が開始。

これが「BOACスチュワーデス殺人事件」です。

引用:Ameba

殺害されたのは武川知子さん(当時27歳)です。

武川さんは、2か月間ロンドンで客室乗務員としての研修を受けた後、2月に帰国、BOACの客室乗務員として念願の初フライトを控えており、とても自ら死を選ぶとは考えにくい状況でした。

武川さんの交友関係を調べたところ、ベルメルシュ・ルイズというベルギー人の神父(当時38歳)がすぐに捜査線上に浮かびました。

神父に対する事情聴取は、弁護人とバチカン市国大使館一等書記官の立会いのもと、第1回目が5月11-13日に、第2回目が20日、22日と計5日間に渡って行われました。

警察が6回目の聴取に向けて準備を進めていた矢先の6月11日、病気療養を理由に、神父は正規の出国手続きを経てベルギーへと帰国してしまったのです。

出国直前に、空港の出入国管理官から警察に連絡が入ったものの、事件に関与したという証拠が見つからない以上、残念ながら神父の出国を止める手立てがありませんでした。

事件解決への糸口が見いだせないまま、1974年3月10日時効を迎えてしまいます。

迷宮入りとなってしまったこの事件には、実は多くの謎が残されています。

神父が武川さんを殺害したことにほぼ間違いないと思われますが、その背後には、神父が所属していたサレジオ会とドン・ボスコ社、武川さんが入社したBOACが関わる大掛かりな国際闇組織が関係しているのでは、との見方もあります。

事実サレジオ会には、戦後の混乱に乗じて援助物資の横流しや闇ドルを利用し不正に活動資金を作り出していたという疑惑がありました。

またBOACでは、麻薬などを密輸したとして1960年に乗務員127人が解雇されています。

もしかすると、武川さんはこの大きな闇組織に何らかの形で関与、または巻き込まれ、殺害されてしまったのかもしれません。

おかしい未解決事件21位:泉南郡熊取町小4女児誘拐事件

大阪府泉南郡熊取町七山地区で2003年5月20日、小学4年生の吉川友梨さん(当時9歳)が行方不明となりました。

「泉南郡熊取町小4女児誘拐事件」です。

その日友梨さんは学校行事である社会見学を終えた後、午後2時半過ぎに3人の同級生と共に学校を出て、1.8キロ離れた自宅に向かいました。

友梨さんの自宅から560mほど離れた場所の交差点で同級生3人と別れた後、更に100m進んだ地点で別の同級生が友梨さんを目撃したのを最後に行方がわからなくなりました。

普段友梨さんは午後5時までには自宅に帰っていましたが、その日は同時刻を過ぎても帰ってこないため、兄が両親に知らせ、3人で近所を捜しまわりましたが友梨さんは見つからず、午後7時半頃警察に通報。

友梨ちゃんがまだ9歳と幼いため、警察は誘拐事件の可能性もあるとみて、犯人からの電話に備えて一晩友梨ちゃんの自宅に待機しましたが電話はなく、翌日失踪事件として公開捜査に踏み切りました。

その後の捜査で、友梨ちゃんの自宅から200mほどのところにあるたばこ店で塗装作業をしていた男性が、友梨ちゃんとみられる女児がひとりで歩いている姿を目撃していたことがわかりました。

この目撃情報のを最後に、友梨ちゃんは忽然と姿を消してしまったのです。

当初は事故の可能性も考えられましたが、近辺で交通事故が起きたという形跡はなく、林や溜池などの捜索でも、手掛かりとなるものは全く見つかりませんでした。

その後警察は、Nシステムの解析などから、怪しいと思われる車両4台を洗い出し必死に捜査を進めましたが、残念ながら4台とも所有者特定には至りませんでした。

そんな中、事件発生から10年以上が経過した2014年11月20日に、新たな不審車両の目撃情報が寄せられています。

事件当日の午後3時頃、友梨ちゃんの自宅から300mの場所に白いクラウンが車道脇に停車しており、情報提供者は徐行して通過しようとした際、白いクラウンの助手席にはうつむいている女児が乗っていたというのです。

警察は友梨ちゃんがこの車で連れ去られたものとみて、この対象車両を2300台に絞り、犯人逮捕に向け懸命な捜査を続けていますが、現在までに犯人に繋がる有力な情報は得られていません。

事件は公的懸賞金制度の対象となり、300万円の懸賞金がかけられています。

大阪府警は引き続き管轄の泉佐野署に捜査本部を置き、吉川友梨ちゃん発見につながる有力な情報提供を呼び掛けています。

おかしい未解決事件20位:王将社長射殺事件

「王将社長殺害事件」は2013年12月19日に発生しました。

当時王将の社長だった大東隆行さん(当時72歳)は、毎朝5時45分頃出社し、京都市内にある王将本社前を掃除するのが日課となっていました。

事件当日の朝も、いつも通り午前5時半頃自身で車を運転し自宅を出発、約15分後会社に到着した直後に銃撃されたとみられています。

大東さんは、至近距離から4発の銃弾を浴びており、病院に搬送された時には心配停止状態で、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

現場の近くで採取したタバコの吸い殻によるDNA鑑定が行われ、福岡県を拠点とする暴力団組員のDNAと一致したものの、犯人を特定するまでには至りませんでした。

その後も捜査の進展は見られず、「王将社長射殺事件」は暗礁に乗り上げてしまったと思われていた矢先、事件は突然動き出すことになるのです。

事件発生から9年の時を経て、大東社長を殺害したとして、特定危険指定暴力団・工藤会系組幹部である田中幸雄容疑者が逮捕されました。

犯人は逮捕されましたが、大東社長と田中容疑者にはどのような接点があり、大東社長が殺害された背景には何が隠されているのでしょうか。


引用:毎日新聞

事件発生後、会社の第三者委員会により、王将は過去に特定の企業グループとの間で不適切な取り引きが繰り返され、巨額の資金が流出したことが報告されました。

大東社長殺害事件と王将が行った過去の不適切取引に何らかのかかわりがあるとみて間違いないでしょう。

警察は、事件の全容解明に向けて必死の捜査を続けています。

おかしい未解決事件19位:草加事件

「草加事件」は1985年7月19日に発生昭和最後の冤罪としても知られている事件です。

当日昼過ぎ、埼玉県草加市の残土置場で、女子中学生(当時15歳)の絞殺体が発見されました。

容疑者として浮かび上がったのは、当時13歳~15歳の少年6人でした。

7月23日、任意同行を求められ事情聴取された少年5人のうち3人が犯行を自供したため逮捕され、同日少年の1人は観護措置が決定。

また、8月4日に共犯として別の少年1人も逮捕されました。

少年たちは捜査段階で犯行を認めたものの、少年審判では一貫して無実を訴えました。

しかし、自白調書を取られていたこともあり、少年たちの必死の訴えも虚しく、強姦既遂と殺害が認められ有罪判決が下ったのです。

有罪判決になったひとつの理由は、被害者少女の衣服に付着していた体液でした。

採取された体液の血液型はAB型で、少女はA型、少年たちの血液型はみなO型かB型だったのです。

検察側はこの点について「被害者少女のA型と加害者少年のB型の血液が混ざってAB型になった」と主張。

浦和家庭裁判所はそれを認めたうえで判決を下したのでした。

その後被害者少女の両親は、少年6人と少年の親権者に対し、損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。

1993年3月第一審「少年たちが強姦・殺人を犯したという事実は認められない」とし、原告の請求を棄却します。

一審の判決を不服とした被害者両親が控訴、1994年11月30日に総額4500万円の損害賠償が認められます。

少年たちの親権者が上告、2002年2月に最高裁は「自白の信用性を認めるという判断に誤りがある」として被告敗訴を破棄、高裁に差し戻しました。

2002年10月、採取された加害者の体液がAB型だったことを理由に「少年6人の犯罪を裏付ける証拠がない」として、原告の請求を棄却しました。

そして、民事裁判による無罪が確定となりました。

少年たちは、民事裁判において無罪となったことを受け、刑事裁判の判決についても取り消しを3度も要求しましたが、いずれも棄却されています。

理由としては「保護処分が既に終了しているため」とのこと。

逮捕された少年たちは17年もの長い間無罪をを訴え続けてきました。

そして、最終的に無罪判決を勝ち取った時には30歳を越えていたのです。

少年たちにとって人生で最も楽しいであろう時期を、冤罪によって失ってしまった悲しみや苦しみは計り知れないものがあるでしょう。

その様な過ちが二度と起きないために、自分たちが冤罪によってどれだけ苦しんできたかを世間に知ってもらうために、少年たちの中で3名が実名を公表し会見を行いました。

逮捕された6人だけでなく、被害者遺族もまた冤罪による被害者であると言えるのかもしれません。

最終的に事件は振り出しに戻ることになり、真犯人は逮捕されることなく2000年7月19日に時効を迎え、真相は闇に葬り去られてしまいました。

おかしい未解決事件18位:四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件

2004年2月17日、三重県四日市市にあるジャスコ四日市尾平ショッピングセンター(現イオン四日市尾平ショッピングセンター)にて、痛ましい事件が起きてしまいました。

「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」です。

男性Aさん(当時68歳)は孫が飼っているハムスターの餌を買うため、事件の現場となったショッピングセンターを訪れました。

その後、Aさんはショッピングセンター内にあるATMに立ち寄っり操作をしていたところ、2歳くらいの幼児を抱いた怪しい女がAさんに近づいてきます。

周囲の様子を確認すると、女はいきなりAさんの肩にわざとらしくぶつかったかと思うと、Aさんの財布を盗み取ろうとするような動きを見せたのです。

それに気づいたAさんは必死に抵抗、2人はつかみ合いの状態になったのですが、そこで女が「泥棒!」と叫んだことにより状況が一変しました。

近くにいた店員や買い物客らはAさんが犯人であると勘違いし、駆け付けた店員と客3名はAさんを一方的に取り押さえてしまったのです。

Aさんらが揉めているすきに、狂言により騒ぎを起こした女はまんまと逃げ去ってしまいます。

その後、別の事件でたまたま居合わせた四日市南警察署の警察官2名が現場に駆け付け、Aさんを窃盗の容疑で拘束しようとしました。

Aさんは無実を訴え立ち上がろうとしますが、警察官は聞き入れることはなく、Aさんの頭と上半身を床に押し付け制圧をしました。

この時、Aさんは拘束による過度のストレスを受けて嘔吐、失神をしていましたが、警察官は気付くことなく制圧し続けていたといいます。

20分後、応援の警察官が到着してようやくAさんの異変を確認、あわてて救急車を要請しますが、Aさんは既に心肺停止状態でした。

搬送先の病院で懸命な治療が施されましたが、高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈により、翌18日にAさんは死亡してしまいました。

Aさんの異常に気付かず抑圧し続け、死亡させてしまった警察は、被疑者死亡のままAさんを窃盗罪で書類送検します。

しかし、その後警察は、防犯カメラの映像などを証拠とし、女を虚偽告訴罪・窃盗未遂の容疑者として捜査を開始しましたが、一向に女を特定することが出来ず、2011年2月17日に時効が成立してしまいました。

そして、財布の所有者がAさんであることが地方検察庁によって認められたのは、時効が成立した3か月後のことでした。

大胆にも、白昼のショッピングセンター内で窃盗行為を働いたこの女は、現在も何食わぬ顔でのうのうとどこかで生きているのでしょうか。

警察の大失態により冤罪の男性が命を落とした「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」、警察は一連の捜査を合法と言い張ったあげく、謝罪すらしないという傲慢さが浮かび上がった事件です。

おかしい未解決事件17位:長岡京ワラビ採り殺人事件

1979年5月23日、京都府長岡京市で残忍で猟奇的な事件が発生しました。

「長岡京ワラビ採り殺人事件」です。

主婦の明石英子さん(当時43歳)と水野恵子さん(当時32歳)は、共にスーパーマーケット「イズミヤ」で働くパート仲間でした。

事件当日、2人は午前10時にパート勤務を終えた後、ワラビ採りに行く約束をしていて、店内で弁当を購入しスーパーから2㎞ほど離れた野山に自転車で向っています。

現地には午前11時頃に到着、ふもとにある寂照院前の畑に自転車を停めて山に入りました。

2人が入山する姿を、近くの工事現場にいた警備員や、登山道入り口付近で作業をしていた夫婦が目撃をしていましたが、この目撃情報を最後に2人は帰らぬ人となってしまうのです。

水野さんは、ワラビ採りに行った後、午後3時半頃に子供を保育園に迎えに行くはずでしたが、時間を過ぎても水野さんは現れませんでした。

夜になっても水野さんは帰宅しないため、心配になった水野さんの夫は野山へ捜しに行きましたが、その夜は見つけることが出来ませんでした。

翌日24日には明石さんの夫も捜索に加わり、必死で2人の行方を捜しましたがやはり見つけることは出来ず、その日午後2時50分頃、向日町署に捜索願を出したのです。

そして、2人が行方不明になってから2日後の5月25日午前10時半頃、目を覆いたくなるほど悲惨な状態で亡くなっている2人が発見されたのです。

2人とも全身に殴られたり蹴られたりしたような跡が50カ所もあったそうです。

明石さんは左右の肋骨が9本折れており、首を絞められたことによる窒息死、水野さんは包丁で左胸を刺されたことによる失血死で、包丁は胸に突き刺さったままでした。

明石さんには性的暴行を受けたとみられる形跡がありましたが、不思議なことに着衣に乱れはありませんでした。

それとは逆に水野さんは下着まで剝がされていましたが性的暴行の形跡ななかったというのです。

2人のリュックには、空の弁当箱と採ったワラビ、財布が入ったままで、検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから午後2時半までと判明しています。

2人とも金品を奪われた形跡はありませんでしたが、水野さんの履いていたズボンのポケットから謎のメモが発見されました。

勤務先のスーパーのレシートの裏に「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と、鉛筆で走り書きされていたのです。

犯人の血液型はO型で、包丁を持った怪しい男が目撃されていましたが、遺留品の包丁から指紋は検出されておらず、有力な手掛かりが得られないまま1994年5月24日に時効を迎えてしまいました。

「長岡京ワラビ採り殺人事件」の被害者は2人と伝えられていますが、実はもう1人主婦がいたとの情報があったのです。

その主婦はは2人より先に下山していて事件に巻き込まれなかったとのことですが、この主婦が事件に巻き込まれる可能性があるとして、警察はこの事実を公表しなかったようです。

ところが、この「長岡京ワラビ採り殺人事件」から5年後にこの主婦は同市内で首や背中をめった刺しにされたうえ、布団にくるまれた状態で火をつけられ殺害されたというもの。

この2つの事件の関係性については、警察からもマスコミからも全く言及されていないため、事実関係は不明のままで、今となっては都市伝説となっています。

おかしい未解決事件16位:愛知豊明母子4人殺人放火事件

2004年9月9日の未明、愛知県豊明市沓掛町の民家で火災が発生し、焼け跡から母子4人の遺体が発見されました。

当初は火の不始末による火災と見られていましたが、4人の遺体にはいずれも刺し傷や殴られたような跡があったため、放火殺人事件と断定されました。

これが「愛知豊明母子4人殺人放火事件」です。


引用:medium

被害者はこの家に住む母親と子供3人で、父親は不在だったため無事でした。

母親・加藤利代さん(当時38歳)と長女・里奈さん(当時13歳)は、刃渡り20㎝のサバイバルナイフと見られる刃物で顔や背中を十数カ所刺され、2人とも死因は出血性・外傷性ショックでした。

利代さんの刺し傷の一部は肺にまで達して、里奈さんは刺された衝撃により肋骨が折れていたそうです。

長男・佑基くん(当時15歳)と次男・正悟くん(当時9歳)は、バールのような鈍器で頭部を強く殴られ、数センチの陥没骨折がありました。

死因はそれぞれ急性くも膜下出血と脳挫傷でした。

4人に抵抗した形跡がなかったことから、就寝中を襲われたとみられていますが、玄関や窓はしっかりと施錠されていたため、犯人がどのように侵入したかはわかっていません。

被害者の周辺では、事件発生の約1年前から不審な出来事が起こっていたことがわかりました。

2003年7月、母親が夜間パトロールに出かけ自宅には子供達だけで留守番をしていた際、誰かが玄関のノブをガチャガチャと回し、玄関を開けようしたというのです。

更に、被害者宅の様子をじっと伺っている不審者がいたこともわかっています。

被害者家族の間で防犯に対する意識が高まっていた矢先に、このような悲しい事件が発生してしまったのです。

不審な尾張小牧ナンバーの車両の目撃情報があったものの、犯人の遺留品もみつからず、捜査は困難を極めていました。

そんな中、2005年3月11日唯一の生存者である父親が詐欺容疑で逮捕されたのです。

父親は複数のホステスと愛人関係にあり、多額の借金を返済するため、会社のパソコンを不正に取得した後、横流しをして現金を受け取っていました。

逮捕された父親は、母子4人殺人放火事件に関しても厳しい取り調べを受けたとみられていますが、アリバイが立証されたため、事件とは無関係と認められ、事件は振り出しに戻ります。

残忍な殺害方法であるため怨恨の線が強いとみられていますが、未だ犯人は逮捕されておらず、事件は未解決のままです。

おかしい未解決事件15位:江戸川区女性監禁行方不明事件

2008年4月5日、東京都江戸川区に住んでいた石田佳奈子さん(当時19歳)が、出会い系サイトで知り合った男に連れまわされた後、行方がわからなくなる事件が発生しました。

「江戸川区女性監禁行方不明事件」です。

引用:警視庁

事件発生の翌日4月6日の昼頃、石田さんから家族や友人に助けを求める電話が入ります。

石田さんはかなり興奮した状態で「知らない男に連れまわされている」「覚せい剤を打たれた、助けて」「2人の男にホテルに連れ込まれそうになった」との内容で数回電話がかかってきたそうです。

更に、石田さんは山梨県警にも2回110番通報をしていますが、警察官が居場所を尋ねても「わからない、わからない」と取り乱した様子だったため、石田さんの居場所を確認することは出来ませんでした。

警察はすぐに捜査を開始、石田さんの電話から聞き取ることが出来た車のナンバーや、石田さんの通話履歴などから、塩野直樹容疑者(当時26歳)を犯人と断定、4月11日に監禁容疑で逮捕しました。

塩野容疑者が乗っていた父親名義のワゴン車内から、鑑識により尿と血液反応を確認、石田さんのものかはわかっていませんが、車内でなんらかのトラブルがあったと考えられます。

塩野容疑者の所持品から、覚せい剤と向精神薬数錠を発見、更に社内から「行方不明になっても、責任は問いません」といった誓約書が見つかりました。

この誓約書は複数枚見つかっているため、石田さん以外にも多くの女性に石田さん同様の犯行を繰り返していた可能性もあるとみられています。

一連の事件から9日後の4月14日、石田さんのものとみられるブーツやショルダーバッグなどが、山梨市の林道脇で発見されました。

周囲を捜索するも、石田さんの発見には至りませんでした。

塩野容疑者は調べに対し「石田さんに覚せい剤を注射したら、急に暴れだし走り去ってしまった」と供述、監禁罪について東京地検は証拠不十分として処分保留としました。

石田さんの行方は未だにわかっておらず、事件の真相は不明のままです。

警視庁は引き続き石田さんに関する情報提供を呼び掛けています。

おかしい未解決事件14位:加古川小2女児殺人事件

「加古川小2女児殺人事件」は、2007年10月16日午後6時過ぎに兵庫県加古川市別府町発生しました。

被害者は、市立別府小学校に通っていた小学2年生の鵜瀬柚希ちゃん(当時7歳)です。


引用:ラジトピ

事件当日、柚希ちゃんは近所の公園から自転車で帰宅し、自宅の東側に自転車を置いて家に入ろうとしたところを突然何者かにナイフで刺されたのです。

柚希ちゃんの悲鳴を聞いて、家にいた家族4人がすぐに駆け付けましたが、既に犯人の姿はなく、柚希ちゃんは胸や腹から血を流した状態で今にも倒れる寸前でした。

午後6時5分、柚希ちゃんの母親が119番通報、約2分後に救急隊員が到着し直ぐに病院に搬送されました。

搬送される際、まだうっすらと意識があった柚希ちゃんは、犯人について「大人の男の人」と救急隊員に話したそうです。

そして午後7時45分、残念ながら柚希ちゃんの死亡が確認されました。

死因は左胸上部をさされたことによる失血死と断定されました。

柚希ちゃんの刺し傷などから、犯人は右利きの可能性が高い事はわかっていますが、目撃情報も少なく遺留品も見つからないため、今現在も犯人逮捕には至っていません。

また、この事件は2008年7月30日に捜査特別報奨金制度に指定され、警察は更なる情報提供を呼び掛けています。

捜査が難航するなか、柚希ちゃんを殺害した犯人は「津山市小3女児殺害事件」の犯人として逮捕された勝田州彦ではないかとの声が浮上しています。


引用:朝日新聞デジタル

勝田は、兵庫県や岡山県などで少女や女児を標的にした卑劣な暴力行為を繰り返していて、その度に逮捕されています。

勝田は、2018年5月(当時39歳)の取り調べ中、2004年9月に岡山県で発生し未解決となっていた「津山市小3女児殺害事件」について犯行をほのめかす供述を始め、その後殺人容疑で逮捕されました。

「津山市小3女児殺害事件」は、小学3年生だった筒塩侑子ちゃん(当時9歳)が正面から腹や胸を刺されて殺害された事件で、犯行の手口が柚希ちゃんの事件と非常に似ています。

また、勝田の周辺で、少女や女児が被害にあった未解決事件が複数あり、「加古川小2女児殺人事件」もその中の一つなのです。

更に、勝田の実家は加古川市平岡町という場所で、柚希ちゃんの自宅からわずか1キロほどしか離れていなかったというのです。

当然警察も勝田の関与を疑っているとみられ、今後勝田から事情を聞くことも考えられいるとの報道もされています。

いずれにせよ、柚希ちゃんの無念を晴らすためにも、一刻も早い事件解決を願います。

おかしい未解決事件13位:福島女性教員宅便槽内怪死事件

1989年2月28日、福島県田村郡都路村という小さな村でその不可解な事件は起こりました。

事件当日18時頃、この村に住む小学校の女性教員Aさん(当時23歳)が、学校に隣接した教員住宅に帰宅後、汲み取り式和式トイレの便槽内に靴のようなものがあるのを発見します。

不審に思い外の汲み取り口に向かうと、蓋は空いたままになっていて、中をのぞいたところ人の足が見えたため驚いて同僚と110番通報をしました。

これが福島女性教員宅便槽内怪死事件」です。

発見されたのは、同じ村に住む菅野直之さん(当時26歳)で、福島第2原発作業員の主任を務めていた人物です。

発見当時の菅野さんは、真冬にもかかわらず上半身は裸で、着ていたであろうセーターを抱きかかえた状態で亡くなっていました。

警察は、菅野さんが覗き目的で便槽内に侵入したものの寒さと圧迫による胸部循環障害で死亡したと断定、そのまま捜査は打ち切られたのです。


引用:Ameba

しかし、あまりにも不自然な点が多いことから、この事件を単なる事故として終わらせるには疑問が残ります。

そこで、この事件に残された謎についてまとめてみました。

 

便槽内にどのようにして侵入したのか
侵入出来る場所はそれぞれ直径20㎝と36㎝、遺体を引き出すために重機で便槽を壊さなければならないほどの狭い場所に菅野さんがどうやって侵入したかは解明されていません。

洗浄された遺体
警察は、検死前の菅野さんの遺体を2度も洗浄していました。重要な証拠が残されていたとしても、これによって洗い流されてしまった可能性もあると考えられます。

空白の2日間
24日の午前10時頃、父親が菅野さんを見たのを最後に、死亡したとされる26日までの2日間の足取りが全くつかめていません。なお、菅野さんの車はキーがささったまま発見され、菅野さんが履いていた靴の片方は土手で見つかっています。

拒絶された4000人分の署名
菅野さんは人望も厚く好青年でとても覗きをするような人物ではないと、家族や友人らは再捜査を要求し4000人分の署名が入った嘆願書を提出しましたが、警察には受け入れてもらえなかたのです。

Aさんは不在だった
Aさんは、24日から連休を取り実家に帰省していて、事件が起きた日は不在にしていました。菅野さんとAさんは知り合いであったためAさんの帰省を把握していたそうです。不在と知りつつ覗き目的で侵入したとは考えられません。

 

この様に、調べれば調べるほど不可解としか思えない点が多く、4000名もの署名を無視した警察にも不信感がぬぐえない事件ですが、事故と断定された以上、事件の真相は闇の中となってしまいました。

なんとも後味の悪い未解決事件と言えるのではないでしょうか。

おかしい未解決事件12位:プチエンジェル事件

「プチエンジェル事件」とは2003年に発生した少女4人誘拐監禁事件です。

2003年7月17日、ひとりの少女が助けを求めて花屋に駆け込んできたことからこの事件が発覚します。

花屋の店員が110番通報、事件現場となるウィークリーマンションに駆け付けた警察官によって、残る3名の少女たちも無事に発見されました。

犯人は吉里弘太郎(当時29歳)、少女たちが保護されたマンションで練炭自殺を図ったとみられています。

2003年7月上旬、吉里はスカウトとして雇っていた女子高生を使い「アルバイトしないか」と当時小学6年生だった少女を勧誘、その後吉里本人と少女は接触したものとみられます。

その日、少女はマンションの部屋を1時間程度掃除した報酬として吉里から1万円を受け取り、「次は友達を連れておいで」と伝えます。

7月13日、少女は友人3人を誘い再び吉里のもとを訪れますが、事件現場となったマンションに到着するなり吉里の態度が豹変、少女4人をスタンガンなどで脅し、手錠と目隠しをして監禁したのです。

その日、夜になっても帰宅しない少女たちの家族は警察に連絡、捜索願が出されました。

少女の部屋から見つかった「プチエンジェル」のチラシをもとに吉里を割り出した警察は、別件で逮捕状を取り吉里の行方を追いました。

吉里の居場所特定が難航していたところ、被害少女のひとりがマンションから逃げ出し助けを求めてきたことで、事件は解決へと動き出したかに見られました。

しかし、この事件には不可解と思われる点がいくつか存在していたのです。

事件現場に駆け付けた警察官によって、ビニールテント内で椅子に座った状態で死んでいる吉里が発見されました。

警察は、吉里が事件の発覚を恐れ練炭自殺を図ったと断定、事件の背景に組織的なものはなく、吉里の単独犯行であったとして捜査を早々に打ち切ってしまったのです。

しかしメディアでの検証によると、七輪は高温を発するためビニールはすぐに溶けてしまい死に至る可能性が低く、溶けたビニールによる火傷の跡が見られるとのことでしたが、吉里の遺体に火傷跡は見られませんでした。

更に、ビニールテントは外側からテープで目張りがされていたため、テント内にいた吉里本人が貼ることは不可能で、警察が自殺と断定するのは不可解としか言いようがないとのことでした。

また、吉里はデートクラブ経営にしては、破格の収入を得ていたとされていて、この事件が発覚した時点での所持金は35億円とも言われています。

これはこの種のデートクラブ経営で得られるとは思えない金額であるため、背後には大規模な裏組織が関わっているとしか考えられないでしょう。

なんとも不可解な終幕を迎えたプチエンジェル事件、現場から発見された2000名もの顧客リストは大半が偽名であったと警察が発表、その後マスコミによる報道もぱったりとなくなったのです。

顧客リストには、皇族や有名な政治家の実名が記載されていたとの情報もあり、それらを隠蔽するために捜査打ち切りに向けて大きな圧力があったのかもしれません。

事件から2カ月後の9月12日、この事件を追っていたフリージャーナリストの染谷悟さんが殺害されました。

染谷さんは殺害される前に「中国マフィアに消されるかもしれない」と知人に話していたそうです。

しかし、染谷さん殺害事件で逮捕されたのは、プチエンジェル事件とは無関係の元会社役員の男性で、自身を誹謗中傷する記事を書かれた恨みによる犯行であったと供述をしています。

とはいえ、染谷さん殺害とプチエンジェル事件は本当に無関係であったとは言い切れないかもしれません。

警察によりプチエンジェル事件は解決済みとされた以上、この事件の背後に何が隠されているのか、真相を暴くことは不可能となってしまいました。

おかしい未解決事件11位:広島一家失踪事件

2001年6月4日、広島県世羅町に住む山上さん一家4人と愛犬が突然失踪する事件が発生「広島一家失踪事件」です。

失踪から1年後の2002年9月7日、自宅近くの京丸ダムから1台の車が発見され、中から失踪した一家4人と愛犬の遺体が発見されました。

・山上政弘(当時58歳)
山上家の跡取り息子でしたが建設会社に勤務していました。両親から結婚を反対され駆け落ちをしますが娘の誕生を機に実家へ戻ったそうです。

・山上順子(当時51歳)
元看護士で事件当時は採石会社に勤務していました。

・山上千枝(当時26歳)
山上家の一人娘で小学校の教師をしていました。事件当時は自宅から30㎞ほど離れた竹原市内のアパートで一人暮らしをしていました。「ミス・フルーティー世羅」に選ばるほどの美人で、交際中の男性と結婚間近とも言われていました。

・山上三枝(当時79歳)
政弘さんの母親で山上夫妻と同居していました。過去には政弘さんの結婚をめぐって夫妻とトラブルもありましたが、嫁姑の仲は悪くはなかったようです。

警察により、事件性はなく一家無理心中であると判断されましたが、不可解と思われる点がいくつかあったのでまとめました。

  • 母屋のキッチンと廊下の灯がついたままだった
  • 翌朝の朝食が準備されていて虫よけのネットが被せられていた
  • 順子さんは社員旅行に出かける予定で、荷造りが済んだ旅行カバンが発見された
  • 順子さんの旅行代15万円は手つかずで残っていて、金品を物色したり部屋を荒らされた形跡はなかった
  • 携帯電話や免許証などが家に残されたままだった
  • 4人はパジャマ姿にサンダル、手ぶらで家を出たと思われる

一家心中として終わらせてしまうにはあまりにも無理があると思われるこの事件、一家心中であるならいったい動機は何だったのでしょうか。

実は妻の順子さんには会社の上司と不倫関係にあったという噂があり、夫の政弘さんもそれを知っていて、社内旅行を楽しみにしている妻を見て激怒し一家心中を決意したのではないかと言われています。

日教組(日本教職員組合)の組員男性が結婚間近の千枝さんに好意を抱き、結婚を阻止しようと千枝さんに圧力をかけていたとの情報もあり、苦しむ娘の将来を案じて政弘さんが心中を決意したとの噂も流れていました。

様々な憶測が飛び交っているこの事件ですが、警察からも詳細が明らかにされていないため、不可解な未解決事件となってしまいました。

おかしい未解決事件10位:ファンタジー号事件

「ファンタジー号事件」は、1992年11月23日午後に発生しました。

「風船おじさん」という言葉をお聞きになれば、記憶に残っている方も多数いらっしゃるのではないでしょうか。

ピアノ調律師で自称冒険家でもある風船おじさんこと鈴木嘉和さんがヘリウムガスの入った26個の風船を付けたゴンドラ「ファンタジー号」でアメリカを目指し飛び立ちました。

翌日24日、携帯から妻へ「朝焼けが素晴らしくきれいだ」との連絡が入り、朝の時点では生存が確認されていました。

24日深夜SOS信号が発信されたため、海上保安庁の捜索機が飛び立ち捜索を開始、明朝宮城県金華山沖の海上でファンタジー号の姿を発見します。

風船おじさんは、捜索機に向かい手を振ったり、ゴンドラ内の荷物を投げ落として高度を上げたりしたため、このまま飛行を継続する意思があるものと判断、3時間ほど監視を続けましたがそのまま雲の間に姿を消してしまいました。

その日以来SOS信号が発信されることはなく、アメリカ・カナダ・ロシアに救難要請を出したものの、現在まで誰一人風船おじさんの姿を見た人はいません。

おかしい未解決事件9位:高知大学探検部地底湖行方不明事件

2008年1月5日午後6時15分頃、高知大学探検部のメンバーから、鍾乳洞内で1名が行方不明になったとの通報が入ります。

これが謎の多い「高知大学探検部地底湖行方不明事件」の始まりです。

この日午前11時頃、高知大学探検部のメンバー5人は岡山県新見市にある「日咩坂鐘乳穴(ひめさかたちあな)」という鍾乳洞へ向かいます。

そして午後2時半頃、鍾乳洞の入り口から1.6kmも奥にある地底湖を遊泳していた高知大学3年生の名倉佑樹さん(当時21歳)が行方不明になったのです。

引用:Twitter

現場は水深30mといわれる地底湖であるため、警察の捜索も困難を極め、名倉さんが見つかることなく5日間で捜索は打ち切られました。

この行方不明事件には不可解な点が多いことで、その後も世間の注目を浴びることになります。

  • 探検部であるのに命綱をつけていなかった
  • 寒い時期になぜ名倉さん1人だけ遊泳したのか
  • 探検部部長が記者会見を拒み続けた
  • 探検部ホームページから部長・副部長の名前が真っ先に削除された
  • 名倉さんのmixiが捜査中何者かに削除された

男女の恋愛関係のもつれによる殺人事件ではないかとの憶測も流れましたが、未だ真相は闇の中です。

おかしい未解決事件8位:嵐真由美さん失踪事件

「洋子の話は信じるな」のメモで有名な「嵐真由美さん失踪事件」は1994年9月2日発生しました。

出産を控えた嵐真由美さん(当時27歳)は、東京都墨田区にある実家に里帰り中、同級生に会ってくると言い残したまま1歳になった娘を残し忽然と姿を消したのです。

冒頭の「洋子の話は信じるな」との謎のメモは、あるテレビ番組でこの失踪事件を取り上げた際画面に映り込んでしまったもので、様々な憶測を生むきっかけとなりました。

洋子とは真由美さんの実の姉の名前で、真由美さんの失踪後の証言のほとんどが洋子さんからのものだったのです。

洋子さんの証言が疑問視される理由としてあげられるのが、タンスに残されていた真由美さんの不倫を示すメモです。

姉の洋子さんがこのメモを見つけ、読んだ後捨ててしまったというのです。

今となっては、そのメモが実際に存在したのかどうかさえ闇の中となってしまいました。

謎めいた「嵐真由美さん失踪事件」ですが、何らかの形で解決したのではないか、との情報があるようです。

嵐真由美さんは行方不明者として、非営利団「日本行方不明者捜索・地域安全支援協会(MPS)」のWEBページに登録されていました。

しかし、今現在真由美さんの情報欄には「ご協力ありがとうございました」の文字が表示されているというのです。

真由美さんが無事に発見されたのかどうかはわかりませんが、この情報が事実であるなら解決してほんとうに良かったのですが、いずれにしても事件の真相は謎のままですね。

おかしい未解決事件7位:坂出タケノコ掘り女児行方不明事件

2005年4月29日、まるで神隠しにでもあったかのような不可思議な「坂出タケノコ掘り女児行方不明事件」が発生しました。

その日、大西有紀ちゃん(当時5歳)は、香川県五色台連絡協議会主催のたけのこ掘りイベントに、母親・3歳上の姉と一緒に参加していました。

しかし、午後1時45分頃、母親に「もう1本取ってくる」という言葉を言い残し竹林に向かって走り去ったのが最後の姿となってしまったのです。

午後2時の集合時間になっても有紀ちゃんは戻って来なかったため、家族と他の参加者で付近を捜しましたが、有紀ちゃんは見つかりません。

午後3時頃警察へ通報、午後3時45分警察が現場に到着し捜索開始、午後5時には地元の消防団等も加わり懸命な捜索が続けられましたが、午後9時になっても有紀ちゃんを発見することは出来ませんでした。

そんな中、事件当日1匹、翌日には4匹の警察犬が投入され、有紀ちゃんの水筒の匂いを頼りに行方を追ったところ、おかしなことに5匹全ての警察犬が全く同じ場所でぴたりと足を止めたというのです。

車が入る事も出来ないような奥深い山中で、突然匂いが消えてしまったことから、イヌワシに連れ去られたのではないかとの説もあるようです。

18年近く経った現在も、有紀ちゃんの足取りは全くつかめていません。

おかしい未解決事件6位:カアイソウ、カアイソウ事件

「カアイソウ、カアイソウ事件」という何とも不気味なおかしな事件をご存じでしょうか。

1991年3月15日、三重県四日市市富田の自宅から、当時小学2年性だった加茂前ゆきちゃんが失踪したとされる事件です。

その日、加茂前ゆきちゃんは午後2時に友達と別れたあと帰宅、午後2時半に母親から自宅に電話が入った際にはゆきちゃんが対応をしているので、その時点での所在は確認できていました。

ところが、午後3時半にゆきちゃんの姉が帰宅した時には、既にゆきちゃんの姿はなく、ゆきちゃんが大好きだったココアがまだ温かい状態で飲みかけのまま置いてあったとのことです。

ゆきちゃんが帰宅時父親は在宅していましたが、夜勤明けだったため熟睡中で、ゆきちゃんの行動を把握できていませんでした。

事件発生後、無言電話がかかってきたり不可解な出来事がありましたが、何よりもこの事件が世間に知れ渡たるきっかけとなったのが、3年後ゆきちゃんの父親宛てに届いた、何とも不気味で謎の多い「怪文書」の存在でしょう。

いったい誰が何の目的でこのような怪文書を送り付けてきたのでしょうか。

多くの謎に包まれたこの失踪事件は、発生から15年が経過した2006年に時効を迎え、未解決事件として捜査が打ち切られてしまいました。

しかし、未だに加茂前ゆきちゃんの発見には至っていません。

おかしい未解決事件5位:八王子スーパー強盗殺人事件

1995年7月30日、東京都八王子市にあるスーパー「ナンペイ大和田店」で閉店直後、3人の女性従業員が拳銃で射殺されるというショッキングな事件が発生しました。

この残虐な事件こそが「八王子スーパー強盗殺人事件」といわれている凶悪事件です。

被害者は、パート従業員 稲垣則子さん(当時47歳)、アルバイト前田寛美さん(当時16歳)、同じくアルバイト矢吹恵さん(当時17歳)の3名です。

最初に殺害されたのは稲垣さんと見られていて、銃把で右顔面を殴られ、金庫の脇に突き飛ばされた後、額と頭頂部を1発ずつ撃たれたのではないかと推測されています。

前田さんと矢吹さんの二人は口を粘着テープで塞がれ、お互いの右手の左手を縛られた状態で、いずれも頭部に至近距離から銃弾を受け即死状態でした。

この日閉店後の午後9時16分頃、事件現場である事務所のセキュリティーシステムがロックされた後、1分後には解錠されているため、帰宅しようとした3人が犯人に脅され事務所に押し戻された後犯行に及んだと思われます。

事件に使用された拳銃は、フィリピン製のスカイヤーズ・ビンガム(回転式38口径)です。

事件当時、フィリピンから多くの粗悪品が密輸されたと言われていて、犯人が使用した拳銃もそれである可能性が高いと言われています。

粗悪品で扱いが難しいにもかかわらず、短時間の間に3人の命を確実に奪って逃走していることから、プロの犯行ではないかとも推測されます。

当初から、不審な男や車両の目撃情報はあったものの、犯行目的が金品なのか怨恨なのかも特定できず、犯人は未だ逮捕されていません。

一般女性が拳銃で射殺されるという残忍極まりない事件は、世間を震撼させ、日本の銃犯罪のターニングポイントとなってしまったと言えるでしょう。

「人を死亡させた罪」のうち、法定刑の上限が死刑であるものについての時効は撤廃されたため、この事件は今現在も警察による捜査が継続中です。

おかしい未解決事件4位:井の頭公園バラバラ殺人事件

日本で最初の郊外公園として100年以上にわたって多くの人々に親しまれている井の頭公園で、1994年4月23日、「井の頭公園バラバラ殺人事件」と呼ばれる惨劇が発覚します。

この日、清掃員の女性が猫のエサになるものを探していて、偶然ゴミ箱からポリ袋を取り出したところ、中に人間の足首が入っているのを発見、警察に通報しました。

その後駆けつけた警察官らによって公園一帯が捜索され、7箇所のゴミ箱から人間の手足や胴体の一部が入ったポリ袋が合計27個発見されたのです。

それらのポリ袋は、漁師が良く使うとされる固い結び方がされており、不気味なことに遺体はどれも20cmほどの大きさに切り揃えられ、血液をほぼ完全に抜かれた状態だったそうです。

被害者の身元を隠すためか、手足の指紋はほぼ削り取られていましたが、ほんのわずかに残っていた指紋とDNA鑑定により、被害者は公園近くに住んでいた一級建築士の川村誠一さんと断定されました。

警察の懸命な捜査が行われましたが、犯人に結び付くような手掛かりは全く見つかりませんでした。

あまりにも残忍な殺害手口であったため、怨恨説も考えられましたが、川村さんの周辺でトラブルは一切なく、人間関係も良好であったことから、更に捜査は難航しました。

そして、2009年4月23日、犯人逮捕に至ることなく時効が成立しました。

そして時効から6年後、被害者の川村さんは人違いで殺害されたのかもしれないという驚くべき情報が流れたのです。

当時、この地域で露天商をしていた男性が川村さんと瓜二つで、川村さんの自宅とその男性が借りていた倉庫がすぐ近くだったそうです。

度々起きる露天商同士のトラブルがきっかけでこの男性は命を狙われていたため、背格好がそっくりな川村さんが露天商と間違われ殺されてしまったのではないかと言うのです。

しかしながら、捜査が打ち切られている今、この事件の真相は無念にも闇に葬り去られてしまいました。

おかしい未解決事件3位:名古屋妊婦切り裂き殺人事件

1988年3月18日、日本で最も猟奇的といわれる「名古屋妊婦切り裂き殺人事件」が発生しました。

被害者となったのは守屋美津子さん(当時27歳)、臨月を迎えた妊婦でした。

守屋さんの夫Aさんは妊婦の守屋さんを気遣い、毎日定期的に自宅に電話を入れていたそうです。

予定日を5日経過していた事件当日、Aさんがお昼12時頃守屋さんに電話をした際、特に異変は感じられなかったようですが、帰宅直前の電話に守屋さんが出ることはなかったそうです。

自宅に戻ったAさんは、玄関の鍵が施錠されておらず電気もついていないことに違和感を覚えつつ、部屋着へ着替えていたところ、かすかな赤ん坊の声を耳にしたのです。

驚いて声のする居間へと駆け付けたAさんは、この世のものとは思えないおぞましい光景を目にすることになるのです。

辺りは一面血の海、首にはこたつのコードが巻かれ、お腹を切り裂かれた守屋さんの足元で赤ん坊が力なく泣いていたのです。

Aさんは救急車を呼ぶため電話をかけようとしましたが、あるはずの電話が見つからなかったため、急いで階下の住人に電話を借り、救急車を要請したのです。

守屋さんと赤ん坊は病院に搬送されましたが、残念ながら守屋さんは死亡が確認されました。

赤ん坊は、切り傷があったため貧血と低体温の症状があったものの、発見が早かったため奇跡的にも一命を取り留めました。

この事件は、被害者である守屋さんの殺害された状況があまりにも異常で猟奇的であったため、日本中を震撼とさせたのです。

  • 臨月であった守屋さんのお腹は真っ二つに切り裂かれていた
  • 赤ん坊はへその緒がついた状態で取り出され、遺体の足元に放置されていた
  • 守屋さんは両手を縛られ、首にはコタツのコードが巻かれていた
  • 切り裂かれたお腹の中に、自宅の電話機とミッキーマウスのキーホルダーが押し込まれていた

司法解剖の結果、守屋さんの死因は窒息死で、お腹を切り裂かれたのは殺害された後であることがわかりました。

事件当日、現場アパートの1階住民や近所に住む小学生が、30代くらいの不審な男を目撃していたことがわかりましたが、犯人特定には至らず、2003年3月18日時効が成立となりました。

殺害された守屋さんの切り裂かれた腹部にに押し込まれていた電話機とキーホルダー、それがいったい何を意味するものであったのか、その謎を解明することなく事件は迷宮入りとなってしまったのです。

残されたAさん親子は、事件から30年以上経った現在は海外に移り住んでいるとのことです。

おかしい未解決事件2位:世田谷一家殺人事件

新年を間近に控えた2000年12月30日の深夜、東京都世田谷区で一家4人が惨殺されるという凄惨な事件が発生しました。

「世田谷一家殺人事件」です。

事件当日夜、浴室の網戸が落下し、フェンス近くの木が折れていたことから、犯人はフェンスをよじ登り浴室の窓から侵入したものと思われます。

そして一家4人を次々と殺害して行ったのです。

被害者は、宮沢みきおさん(当時44歳)、妻泰子さん(当時41歳)長女にいなさん(当時8歳)、長男礼ちゃん(当時6歳)の一家4人です。

引用:東京新聞

犯行① 中2階の子供部屋で礼ちゃんを殺害(窒息死)

犯行② 1階階段下でみきおさんを殺害(刺殺)

犯行③ ロフトで寝ていた泰子さんとにいなちゃんを殺害(刺殺)

礼ちゃんは布団に顔を押し付けられたことによる窒息死、礼ちゃん以外の3人はいずれも首などを包丁で刺されたことによる失血死でした。

そして犯行時、被害者の激しい抵抗に合ったためか、犯人は自らの手にもかなりの傷を負ったとみられています。

この事件では、犯行後の犯人の異常性が伺える行動が注目を集めました。

犯人は、すぐに逃走することなく、10時間近く現場に留まっていたことがわかっています。

そして、同室内でアイスクリームを食べ、パソコンを捜査して劇団のチケットを予約した形跡がみられました。

現場には、犯人の指紋や血痕、足跡などが残されており、着用していたと思われるトレーナーやバッグなどもそのまま置かれていました。

数々の証拠や遺留品があったにもかかわらず、未だ犯人は逮捕されていません。

事件から22年が経過した現在も、警察は懸賞金を掛け、懸命な捜査を行っています。

おかしい未解決事件1位:三億円事件

最も有名な怪事件、昭和の犯罪史に名を馳せた未解決窃盗事件と言えば、1968年12月10日に発生した「三億円事件」でしょう。

この日、東京都府中市の東京芝浦電気(現在の東芝)の従業員に支給される予定だったボーナス約3億円を積んだ現金輸送車が、白バイ警官に停止するよう命じられました。

警官は、車に爆弾が仕掛けられているので運転手らに避難するよう指示、運転手らが車を離れたスキに警官は輸送車に乗り込み走り去ってしまったのです。

警官と見られていた人物は偽の警官で、白バイも市販のオートバイを白く塗って偽装されたものでした。

警察を装った大胆な犯行であり、被害総額も3億円と巨額(今でいう10~20億円の価値)であったため、警察の威信をかけた懸命の捜査が進められました。

そして、日本で一番有名と言っても過言ではないあのモンタージュ写真が作成されたのです。

引用:時事ドットコム

現場には犯人が使用したオートバイが乗り捨てられていたこともあり、早期に事件が解決されるものと思われていましたが、1975年12月10日に残念ながら時効を迎えることとなります。

三億円事件は、多くの容疑者が浮上していましたが、最も有力とされていた人物は、父が白バイ隊員であった少年S(当時19歳)です。

Sは非行少年グループのリーダーであり、事件直前に窃盗事件を企てていたことがわかったため容疑者とみられていましたが、後に自殺を図り、家宅捜索でも現金が見つかる事はありませんでした。

そんな中、2018年に白田という人物により発表された小説「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」が世間を騒がせました。

真犯人を名乗る白田が犯行に至るまでの記録や事件の詳細が綴られているものの、青春小説の要素が極めて強いため真偽は不明です。

稀に見る完全犯罪となったこの「三億円事件」は、半世紀以上経った現在でも、ことあるごとにマスコミに取り上げられています。

その他日本で起きた未解決事件一覧

これまで、様々な未解決事件を見てきましたが、こんなに多くの未解決事件が存在することに驚愕してしまいます。

しかし、実はまだまだ紹介しきれていない未解決事件がたくさんあるのです。

ここからは年代別に分けて、その当時起こった怪事件を事件名のみ紹介していきます。

1975年〜1994年

・千歳市女子中学生誘拐殺人事件
・ピル治験女性バラバラ殺人事件
・水戸市ミス梅むすめ殺人事件
・優しいおじさん事件
・警視庁独身寮爆破事件
・沖縄警官二名射殺事件
・金沢市女性スイミングコーチ殺害事件
・日本テレビ郵便爆弾事件
・池袋駅立教大生殺害事件

1995年〜2000年

・多摩市マンホール女性死体遺棄事件
・巣鴨とんかつ店店主殺人事件
・群馬一家3人殺害事件
・須坂市・毒入りウーロン茶殺人事件
・筑波大学女子大生殺人事件
・目黒不動尊バラバラ殺人事件
・鹿児島市亜ヒ酸混入事件
・スイス日本人女性失踪事件
・久留米市自衛官殺人事件

2001年〜2010年

・つくば市男性バラバラ殺人事件
・稚内市ロシア通訳女性行方不明事件
・坂出市タケノコ掘り女児行方不明事件
・京都精華大学マンガ学部学生通り魔殺人事件
・神奈川県平塚市タクシー強盗殺人事件
・琵琶湖バラバラ殺人事件
・横浜港バラバラ殺人事件
・ローソン加賀桑原店強盗殺事件

2011年〜2022年

・横浜市鶴見区公園内男性射殺事件
・六本木クラブ襲撃殺人事件
・山梨県ボストンバッグ遺体遺棄事件
・東京駅コインロッカー内死体遺棄事件
・広島中央署8572万円盗難事件
・日光市フランス人女性失踪事件
・別府市大学生二人死傷ひき逃げ事件
・鹿児島市無人販売所男児置き去り事件

【2023最新】日本で解決した未解決事件選!怪事件の結末とは?

ここまで見てきた事件は、犯人が特定されていないために未解決となっている事件がほとんどでした。

しかし、警察も黙って手をこまねいているわけではありません。

未解決事件だといわれた事件でも、執念で捜査を続け見事解決に導いた怪事件も多数存在しています。

未解決事件①朝霞市女子中学生誘拐事件

2014年3月10日、朝霞市立朝霞第三中学校に通う中学1年生の少女が姿を消しました。

自宅には自分を探さないでほしいというメモがあり、一時は家出を疑うも行方不明事件として2年間も捜索が続けられました。

この少女は千葉県の大学に通う男性によって監禁されており、男が留守にしていた隙に逃げ出し公衆電話から母親に助けを求めたのです。

その後駆けつけた警察によって2016年3月27日に保護されました。

犯人の男は静岡県まで逃走、自殺を図るも死にきれず警察に出頭しています。

犯人の男には懲役12年の判決が下りました。

未解決事件②山梨県道志村キャンプ場女児失踪事件

2019年9月21日、山梨県南都留郡道志村のキャンプ場で小学1年生の小倉美咲ちゃんが行方不明になりました。

未だ記憶の新しい有名なこの事件では、15時半頃に1人で150メートル程離れた沢に向かう途中に美咲ちゃんが消息を絶ったのです。

16時になって美咲ちゃんがいないことに気が付き、警察へ連絡し捜索を開始しています。

捜索は難航し1700人もの警察や消防が駆けつけるも、行方は判明しませんでした。

捜索自体は10月6日に終了していますが、母親はメディアを通して娘美咲ちゃんの行方を捜し続けたのです。

2022年4月23日という2年の歳月を経て、ボランティで捜索の男性が美咲ちゃんのものと思われる後頭部を発見し、その後も複数の骨が見つかりました。

DNA鑑定の結果、美咲ちゃんのものと判明

しかし事故なのか事件なのか、こちらはいまだ捜査中です。

未解決事件③島根女子大生死体遺棄事件

2009年11月6日、広島県の臥龍山の崖下で、キノコ狩りに訪れていた男性が、切断された人間の頭部を発見し警察に通報しました。

翌11月7日に捜査本部が設置され、大規模な捜索が行われた結果、胴体や左足首などが次々と見つかったのです。

DNA鑑定の結果、被害者は2009年10月26日にアルバイトを終えた後から行方不明となり捜索願が出されていた平岡都さん(当時19歳)と判明。


引用:NEWSポストセブン

平岡さんの死因は、紐のようなもので首を絞められたことによる窒息死。

バラバラに切断された遺体は、胸を切り取られ内臓をえぐり取られたうえ、火で焼かれたような跡も見つかり、あまりにも凄惨な事件に世間は恐怖に震えました。

捜査本部は、延べ31万人の捜査員を投入し必死の捜査を続けましたが進展はなく、事件は迷宮入り。

しかし2016年、警察は再度不審車両などの洗い出しを行った結果、不審な動きを見せる1台が浮上、車の所有者は矢野富栄(当時33歳)、なんと事件発覚の2日後に山口県で事故死していることがわかりました。


引用:Ameba

矢野は過去に3件の性犯罪を犯しており、服役もしていました。

矢野が所持していたデジタルカメラのUSBデータを復元したところ、切断前後の平岡さんの遺体や切断に使用したとみられる刃物など57の写真を確認。

島根、広島両県警は2016年12月20日、殺人・死体損壊・死体遺棄罪で、矢野富栄を容疑者死亡のまま書類送検、捜査は終結することになりました。

未解決事件④津山小3女児殺人事件

2004年9月3日、岡山県津山市で当時小学3年生の女児Aさん(当時9)が殺害された津山小3女児殺人事件

Aさんの姉が自宅で妹の遺体を発見、Aさんには多くの刺し傷があり、中には内臓にまで達している傷もあったそうです。

岡山県警は13500人の捜査員を動員し懸命な捜査を行いましたがなかなか進展しませんでした。

そんな中、2018年、別の事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)受刑者がAさん殺害を殺害を認めたために、殺人容疑で逮捕。

ところが勝田は「虚偽の自供であった」と、裁判で無罪を主張したのです。

これに対し、岡山地裁も広島高裁も勝田に無期懲役の判決を言い渡していますが、勝田側は上告していました。

2023年、9月勝田州彦の言い分は棄却され、無期懲役が言い渡されています。

未解決事件⑤宇土市院長婦人殺人事件

2004年3月13日、宇土市院長婦人殺人事件は熊本県宇土市の病院で起きました。

その日15時30分頃、ゴルフの練習を終えて帰宅した走潟町医院院長の中津卓郎さん(当時54歳)が、医院に隣接する自宅玄関で妻千鶴子さん(当時49歳)が血まみれで死亡しているのを発見、110番通報しました。

死因は失血死で、顔面には鈍器のようなもので50カ所以上も殴られた形跡が見られたとの事です。

殺人事件として捜査は開始されますが、現場は畑などに囲まれたのどかな場所で人通りは少なく、目撃情報も皆無なため捜査は難航しました。

しかし、2011年2月23日に熊本市で起きた強盗事件の手口が院長婦人殺人事件と酷似していることから、逮捕されていた田尻賢一(当時39歳)を追求、院長婦人の殺害も自供したのです。

2012年9月10日に田尻の死刑が確定、2016年に刑が執行されました。

日本のおかしい未解決事件ランキング1位がヤバすぎた?!

日本で起こったたくさんの未解決事件を紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。

優秀といわれている日本の警察ですが、意外にも未解決時間は多く、現在も野放しになっている犯人は多くいるのです。

悪魔の詩訳者殺人事件のように海外逃亡したのではないか、と噂される犯人もいる一方、潜伏中の犯人も少なくないはず。

1位になった三億円事件は不可解で、映画になったり小説になったりいまだに人々の注目を集めています。

未解決といわれている数々の事件の中には怪事件も多く、想像するのも恐ろしい事件ばかりでした。

決してこれらの事件を風化させることなく、一刻も早い解決を願うばかりです。