皆さんは「清水心ちゃん事件」をご存じでしょうか。
「清水心ちゃん事件」は2011年に起こった事件ですが、今でも度々ニュースに取り上げられています。
「清水心ちゃん事件」とは、2011年3月3日に熊本県熊本市で当時3歳の女児が行方不明になり、翌日3月4日に遺体という変わり果てた姿で発見された事件です。
この事件の内容や犯人の動機などは悲惨なもので、多くの人の記憶に残っていると考えられます。
なぜ心ちゃんは殺されなければならなかったのかのでしょうか?
また、犯人の動機は何だったのか、本記事では「清水心ちゃん事件」について深堀していきます。
熊本3歳女児殺害事件の内容・経緯を説明!清水心ちゃんは何された?
「熊本3歳女児殺害事件」として日本全国に報道されたこの事件ですが、事件発生の経緯や事件発生時、被害者である心ちゃんの身に一体何が起こっていたのでしょうか。
なぜ心ちゃんが事件に巻き込まれ、殺されなければならなかったのでしょう。
事件の経緯や心ちゃんが加害者にされたことなどについて解説していきます。
清水心ちゃん事件の概要
「清水心ちゃん事件」は、2011年3月3日に熊本県熊本市で起こりました。
熊本市北区にあるスーパーマーケット「ビックザビックエース清水バイパス店」で清水さん夫妻が買い物中に、心ちゃんは忽然と姿を消してしまいます。
行方不明になる直前に、心ちゃんは父親に「トイレに行く」と告げ1人でトイレに向かいました。
心ちゃんが行方不明になったことが発覚し、すぐに母親が警察へ通報しましたが、その時すでに心ちゃんは殺害されて遺棄されていたのです。
事件の経緯を時系列で見ていきましょう。
経緯①清水心ちゃんがトイレに行く
スーパーでの会計後、父親はスーパーで買った荷物を買い物袋へ詰め込んでいました。
そこへ心ちゃんは父親に「パパ、トイレに行っていい?おしっこがしたい」と言ったそうです。
父親は3歳児を1人でトイレに行かせることはできないと思い、心ちゃんに「待ってて」と言いましたが、トイレが我慢できなかった心ちゃんは1人でスキップをしながら行ってしまいました。
父親は、心ちゃんがスキップしてトイレへ向かった後ろ姿を今でも鮮明に覚えているそうです。
経緯②清水心ちゃんが攫われる
買い物が済んだ後、トイレへ向かった心ちゃんを父親はすぐに迎えに行きました。
ですが、何度も名前を呼んでも「パパ」「ママ」と答える声は聞こえません。
心ちゃんは、この時すでに犯人に攫われ「障害者用トイレ」に連れ去られていたのです。
父親は障害者用トイレにも声をかけていましたが、「使用しています」という言葉が返ってきていたと言います。
しかし、この「使用しています」と返した言葉の主こそ犯人の声だったのです。
経緯③両親が警察に通報
その後、両親でスーパー内をくまなく探しますが、閉店の時間が来ても心ちゃんは見つかりませんでした。
とうとう母親は警察へ通報し捜査が開始されます。
通報時間は20時頃でしたが、実はその約10分後には、すでに心ちゃんは川の排水溝に遺棄されていたことがその後の捜査で明らかになっています。
経緯④「身代金目的」として捜査が始まる
初め警察は、心ちゃんがさらわれたことを「身代金目的」だと考え、捜査を始めていました。
そのため、両親はすぐにでも外に探しに行きたかったのですが、警察官から「外へ出ずに電話に対応してもらいたい」という要望があり外に出ることが許されなかったそうです。
来ない電話を待つ両親は、「心ちゃんは今何をしているんだろう・生きているのだろうか」ということばかりが頭をよぎったといいます。
経緯⑤携帯で「3歳女児遺体で発見」のテロップを見る
もちろん犯人からの電話は無く、暗く辛い夜を超え、朝を迎えたとき母親はテレビに表示された「あるテロップ」を目にすることになります。
テロップの内容は「3歳女児、遺体で発見」というものでした。
母親はもしかしてと思い、警察へ確認するも「そのような事実はない」と認めなかったといいます。
しかし、テロップの3歳女児こそ心ちゃんだったのです。
警察から報告があり、心ちゃんの亡骸に会い絶望の淵に立たされた両親はさらに追い打ちをかけられます。
警察から「心ちゃんを解剖します」という非情な言葉が2人を襲いました。
死亡状況がわからない以上仕方のないことなのかもしれませんが、そのショックから母親は奥歯が噛み砕けたといいます。
現在でも母親の奥歯はなく、当時のままだそうです。
経緯⑥犯人の判決は無期懲役で確定
スーパーのトイレ前の画像や近所の監視カメラの解析結果から、大きく膨らんだリュックを背負い自転車を漕ぐ男性の姿が映し出されました。
テレビを見た1人の男性が「自分の教え子かもしれない」と捜査官へ伝えたところ、市内在住の熊本学園大学に通う当時20歳の男が浮上します。
男は事情聴取にて容疑を認め逮捕、さらには供述通りの場所から心ちゃんの遺体が見つかることになります。
その後、2013年6月26日に行われた裁判にて「無期懲役」が確定しています。
熊本3歳女児殺害事件で清水心ちゃんは何をされた?
犯人は、「山口芳寛」という20歳の熊本学園大学の学生でした。
山口はまず、トイレ前でウロウロしていた心ちゃんを障害者用トイレに連れ込みました。
障害者用トイレに連れ込みすぐに心ちゃんの体をべたべたと触ったところ、心ちゃんに騒がれたことでパニックになり首を絞めて殺害したと供述をしています。
山口は、騒ぐ心ちゃんの「口を片方の手で塞ぎ」さらに「もう片方の手で力いっぱい首を絞めた」と話しました。
そしてぐったりとおとなしくなった心ちゃんを、リュックの中に詰め込み逃走を図ったのです。
トイレから出たその時、山口は父親とすれ違っていたそうです。
スーパーから出た山口は心ちゃんを近所の川へ遺棄し、翌日遺体となって発見されることになります。
熊本3歳女児殺害事件で心ちゃんの子宮に割り箸を入れた?!
熊本3歳女児殺害事件で、心ちゃんが犯人にされた内容として他にも挙げられます。
ある口コミによると、トイレ内で子宮に割り箸を突っ込まれたそうです。
このように悲惨な事件によって、ショッピングモールでも警戒しながらショッピングを行ったり、トイレには一人で行かせないという家庭が増えたようです。
事件から2年後!家族内で第2の事件が発生?
心ちゃんが殺害されてから2年がたったある日のことです。
父親も職場復帰を果たし、少しずつですが前へ進み始めたその時「長男の片耳」が全く聞こえなくなってしまったのです。
耳が聴こえなくなったのは、事件によるストレスが大きいと予想されました。
「昔から耳がおかしかった」「これは自分でなったのだから大丈夫だよ」と長男は話しましたが、親として息子の耳も聞こえなくさせてしまったと自分たちを追い詰めてしまったそうです。
「心ちゃんを亡くし息子の耳も聞こえなくなり、このままでは家族も生きていてはいけない」と思いその時を過ごしたと両親は話します。
10年以上経った今も遺族の悲しみは癒えることなく、もし心ちゃんが生きていれば高校生になっていたことでしょう。
熊本3歳女児殺害事件の犯人の手紙の内容と動機は?
心ちゃんを殺害し服役していた「山口芳寛」は、遺族に対し獄中から7通の手紙を送っています。
なぜ山口は心ちゃんを殺害しなければならなかったのでしょうか。
その殺害動機は一体何だったのでしょうか。
山口からの手紙の内容と心ちゃんを誘拐し殺害するまでに至った動機について紹介していきます。
犯人が遺族に書いた手紙の内容がやばい?
無期懲役となった山口から手紙が届くようになったものの、「はじめは手紙を読むことができなかった」と父親は語ります。
読むことでまた何かが壊れていくことが怖かったようです。
加害者と向き合うため、父親は手紙を読むことにしたのですが、読み始めてすぐに嗚咽しながら涙したといいます。
なんと山口の手紙には、「私は小学生の女の子が死ぬところを見たかった」という裁判では明らかにされなかった事実が記されていたのです。
事件の日のことも鮮明に記されており、その後の取材で父親は「家内には見せられない」「(家内に見せたら)死ぬと思います」と答えました。
裁判では殺意がなかったと供述していましたが、山口に殺意があったことが十分に分かる内容だったと言えるでしょう。
山口が遺族に送った手紙の内容については、下記記事で詳しく紹介しています。
動機①親友の急死
山口には中学時代大親友がいたそうです。
その親友は中学時代いじめられっ子だった山口少年を救った存在でした。
その後高校に進学した二人は、熊本市長との討論番組に出演したりと、山口少年はこの親友が目標となっていったそうです。
ですがそんな親友は山口が事件を起こす約9か月前に病気により急逝してしまったのです。
この死が切っ掛けになったのかは不明ですが、絶望へとたたき落とされその闇が事件へと繋がった可能性もあるかもしれません。
動機②ロリコン
山口は大学入学時のコンパで、「小さい子が好き」と同級生に公言していたといいます。
中学性の頃、幼稚園くらいの小さい女の子が道を通るのをじっと見ていることがよくあったという情報もあります。
また、警察の捜査でも少女ポルノマンガなどが多数発見されました。
心ちゃんの事件当日も、首を絞めて心ちゃんを殺害するに至るまで、わいせつな行為に及んでいたのです。
大学のクラスの中では「ロリコン」との噂もあったそうですが、この事件の結末を見るとそれは正しかったと言えるのではないでしょうか。
動機③中学時代は「キモい」の的
山口は幼少期は落ち着きがない少年で、よくクラスの人たちにいじめられていたそうです。
男子からはウザがられ、女子からは「キモイ」と直接言われるときもあったのだといいます。
ま突然「ウワーワーワー」と奇声を上げるようにもなり、床をドンドンと蹴ったり叩いたり、両親にも怒鳴り散らしたりと、かなり荒れた中学時代を送っていたのだそうです。