2004年6月1日に長崎県佐世保市立大久保小学校で、世間を驚かせる佐世保小6女児同級生殺害事件がおこりました。
2001年に改正少年法が施行されましたが、刑罰の対象年齢は14歳以上のため当時小学校6年生だった犯人の辻菜摘は、2年間までの自由制限と児童自立支援施設「国立きぬ川学院」に送致されただけでした。
佐世保小6女児同級生殺害事件を起こした辻菜摘は、当時顔がかわいいと騒がれましたが、現在はどうなのでしょうか?
2024年最新となる情報を踏まえ、彼女が結婚したという噂や家族情報など、当時の現場の様子や背景と共に見ていきましょう。
記事を最後までじっくり見るとクイズの答えが分かるようになっています!(答えは記事の最後に書いてあります!)
3問全部正解を目指してください!お楽しみに!
- 辻菜摘が同級生を殺害したとされる場所は「」である。
- 辻菜摘が送致された施設の名前は「」である。
- 事件の背後にあるとされる辻菜摘の家庭環境の問題点は「」である。
目次
辻菜摘の生い立ちがヤバい!暴力と素行の悪さで学級崩壊?!
【辻菜摘プロフィール】
当時の名前:辻菜摘(改名済)
当時の年齢:11歳
事件場所 :長崎県佐世保市立大久保小学校
佐世保小6女児同級生殺害事件は小学6年生という年齢と、あまりの凶悪な事件であったため、世間をざわつかせたのはいうまでもありません。
辻菜摘が殺人を犯した背景には育ってきた環境もある、と噂されましたが、彼女はどのように育ってきたのでしょう。
彼女の生い立ちに猟奇的な殺人の原因が隠れているのかもしれません。
辻菜摘は山間部で孤独生活!遊ぶ友達がいなかった?!
辻菜摘の実家は、長崎県の弓張岳にあり周囲に家も少なく同世代の遊び相手がいませんでした。
その為、同世代との小さないざこざを経験したことがなかったのではないでしょうか。
家族と自分だけの時間が多く、同世代との付き合いの中で育まれるはずのコミュニケーション能力が低かったといえそうです。
友達との距離感や、トラブル時の解決方法を全く知らなかったといえます。
父親が脳梗塞!保険代理店と配達アルバイトが仕事?
辻菜摘は両親と祖母、そして商業高校に通っていた姉の5人家族。
父親は生命保険会社に勤めていたようですが、1995年、辻菜摘が2歳の時に脳梗塞で倒れてしまい寝たきりの状態になっていたようです。
大黒柱を失った形になりましたが、母親がパートに出て収入を得ていたといわれています。
その後、父親は復帰し自宅で保険代理店を営みつつ、おしぼりを配達するアルバイトもしていたようです。
決して裕福とは言えませんが、貧困にあえいでいたわけではありません。
PCにハマりサイト鑑賞と制作を行っていた
辻菜摘の家から長崎県佐世保市立大久保小学校までは、バスで通学していたようで、利用できたのは1時間に1本というさみしいバス路線です。
放課後に友人たちと出かけることは出来ず、バスに間に合うように急いで帰宅する毎日でした。
そんな辻菜摘に父親はPCを与え、彼女はPCに没頭しHPを制作したり、様々なサイトを見るようになりました。
中でもオカルト系のサイトにはまって見ていたようです。
そんな孤独な生活を送る辻菜摘は、友達とは深い関係でなかったともいわれており、仲間から外れていると感じたこともあったのではないでしょうか。
ミニバスを強制退部?グレ始めた原因だった?!
2003年に辻菜摘は地元のミニバスケチームへ入団しています。
内向的と言われていた彼女ですが、やはり友達と同じ時間を過ごしたかったのではないでしょうか。
ミニバスケチームに入る条件は、成績を下げないことだったようです。
しかし彼女の成績がさほど下がらなかったにもかかわらず、翌2004年、母親に強制的に辞めさせられてしまいました。
この強制的な退部が、辻菜摘の行動を変えていったのです。
ミニバスケチームを辞めてから、不安定な行動が目立つようになっていったといわれています。
辻菜摘によって学級崩壊!授業中の居眠りと暴力が過激すぎた?!
佐世保小6女児同級生殺害事件を起こした辻菜摘のクラスは、かなり荒れていたといわれています。
女性教師が担当していましたが、授業中に居眠りしたり出歩いたり、いわゆる学級崩壊状態だったようです。
担任の女性教師に向かい暴力をふるうこともあったようで、辻菜摘はそんな乱れた学校生活を送っていました。
後に、担任はいじめを把握していなかった、力不足だったとコメントしています。
給食の準備であわただしかったとはいえ、20分間もの間、辻菜摘と被害者の御手洗怜美さんが教室にいなかったのを気づかなかったのは、乱れた学級にも責任があったのかもしれません。
佐世保事件の被害者は転校生?辻菜摘にいじめを食らう?!
佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者となったのは、小学6年生の御手洗怜美さんです。
御手洗怜美さんの父親は、毎日新聞佐世保支局長をやっていた御手洗恭二さん。
仕事の関係で、小学4年生の時に長崎県佐世保市大久保小学校に転向してきました。
明るくしっかりしていた御手洗怜美さんは、辻菜摘から執拗にいじめを受けていたともいわれています。
御手洗怜美は4人家族!母が癌で亡くなった?
御手洗怜美さんは事件の3年前に母親が癌でこの世を去っています。
毎日新聞の佐世保支局長を務めていた父親の影響で、佐世保支局の3階部分が自宅になっていたようです。
長男は徳島大学に通っていた為家を出ており、当時中学3年生の次男と父親との3人暮らしをしています。
しかし、佐世保支局は規模が小さく2階には机が6つ並ぶだけの事務所があり、御手洗怜美さんは学校から帰ると毎日2階の事務所に顔を出していたといいます。
支局に勤める社員とは家族同然で、時には皆で3階の自宅で食事をすることもあったようです。
御手洗怜美さんは辻菜摘とは真逆の明るく、多くの人に愛された子供だったといえるでしょう。
御手洗怜美は明るい性格!友達が多く辻菜摘とは真逆?
御手洗怜美さんは転校生ですが、その明るい性格から多くの友達に囲まれていたようです。
積極的な性格もあり、転校するとすぐにクラスに溶け込み「みたっち」という愛称で呼ばれるようになりました。
多くの友達を自宅に呼んで、お菓子を作ったり一緒に遊んだりしていたようです。
コミュニケション力も高い御手洗怜美さん、まさかちょっとした喧嘩が原因で、イジメられたり殺されたりするとは思いもよらなかったのではないでしょうか。
事件後は父が転勤!次男は自殺未遂をした?!
佐世保小6女児同級生殺害事件の後、当時中学生だった次男と父親は多くのメディアの前で、当時の様子を語っていました。
事件当日に連絡をもらった時、被害者遺族は大きな衝撃を隠しきれなかったようです。
次男は、妹からいじめの相談を受けていたことがありアドバイスをしています。
自分のアドバイスが良くなかったのではと、悩み自分を責めたこともあったようです。
親が心配しないようにと振る舞う中で、高校進学後は保健室登校になってしまいました。
家族は事件後、メディアに追われカーテンも明けられず家に引きこもっていたといいます。
つらい状況で仕事を休職していた父親の御手洗恭二さんですが、しばらくして仕事の関係で福岡の方に転任することになりました。
彼は佐世保を去る前に、最後のコラムを書いたようで、その中には佐世保事件のことも触れられていたようです。
コラムの最後には御手洗怜美さんが受け取るはずだった卒業証書を、自分が受け取ったことが綴られていました。
札幌市中央区。犯罪被害者支援を考えるシンポジウムで、佐世保女児殺害事件の被害者遺族・御手洗恭二さんなどが講演。事件後の生活について参加者から質問があり、毎日新聞佐世保支局長だった御手洗さんは“取材される側”になって初めて感じた戸惑いなどを語った。 pic.twitter.com/ROLgd7bv8w
— 小笠原 淳 (@ogasawarajun) November 28, 2017
当時の学校の対応はひどかった
事件後、当時中学生だった次男も妹が殺された長崎県佐世保市立大久保小学校に駆けつけました。
しかし学校側の対応はひどく、誰がやったのかと聞くと「そんなの考えなくていい」と返されたといいます。
また後にPTAを含めた緊急会見を行ったときは、女性担任について対応を質問。
校長は「教員が嘘を言っているとでもいうのか」「子供は記憶が曖昧なんだ」という発言を返しています。
当時学校は荒れていたようで、小学校は大きな批判を受けることになりました。
辻菜摘が起こした佐世保事件の殺害現場が酷すぎる!驚愕の行動とは?
辻菜摘が起こした殺人事件は文部科学省によって長崎県佐世保市女子児童殺害事件と名付けられ、加害者の猟奇的な行動から世間を騒然とさせました。
長崎県佐世保市立大久保小学校でおこった、小学6年生による殺人事件は、その残虐すぎる殺人が注目を集めています。
辻菜摘の常軌を逸する行動とは、どのようなものだったのでしょうか。
佐世保事件とは?
佐世保事件は、佐世保小6女児同級生殺害事件とも呼ばれ、加害者である当時小学6年生の辻菜摘が同級生である御手洗怜美さんの首や左手をカッターで切りつけ、殺害したという事件です。
給食の準備が始まる12時15分過ぎに、御手洗怜美さんを学習ルームに呼び出し、カーテンで部屋を真っ暗にし、手で目隠しをして犯行に及びました。
その際、背後から首や左手をカッターナイフで切りつけたといいます。
御手洗怜美さんは何度も抵抗していますが、何度も何度も切りつけ、動かなくなってからも15分間本当に死亡しているのかを確かめていたのです。
動機①辻菜摘が御手洗怜美が交換日記で喧嘩!
仲のいいグループで交換日記をしていたようですが、辻菜摘は自分が生み出した「NEXT〇〇」とう文字をほかの子が使うのが許せなかったようです。
自分が使っているものを真似しないでと友人たちに、告げました。
皆はそれに従ったようですが、御手洗怜美さんは「NEXTという文字は英語だからパクリじゃないような気がする」とみんなで使おうと提案しています。
このことが引き金になり、交換日記から御手洗怜美さんは抜けることになりました。
ひとつの提案だったにも関わらず、辻菜摘は自分に対して反発したと感じたのではないでしょうか。
動機②辻菜摘が怜美のカフェスタを初期化!
イジメのきっかけは些細なもので、被害者となった御手洗怜美さんが辻菜摘をおんぶしたことが始まりだと言われています。
その時、御手洗怜美さんは「重い」と口にしたようです。
たった一言に辻菜摘は切れ「失礼ね」と激怒、その後、御手洗怜美さんに対して「ぶりっこ」と書き込みをしたといわれています。
ここから2人はネット上で争うようになり、辻菜摘は御手洗怜美さんのアバターをカボチャにし、それに対して御手洗怜美さんは「どーせあの人がやっている」と反応。
ついに辻菜摘は、御手洗怜美さんのカフェスタを初期化するいやがらせもしています。
動機③辻菜摘が怜美を敵視!ライバル視していた?!
様々なことが重なり、自分に従わない御手洗怜美さんを敵視するようになった辻菜摘。
小さなことで喧嘩をするのは小学生にはよくあることなのですが、人との付き合いが希薄な辻菜摘は、感情のコントロールがうまくできなかったのではないでしょうか。
多くの友達に囲まれている御手洗怜美さんに、嫉妬する気持ちもあったのかもしれません。
時間と共に、どんどん御手洗怜美さんをライバル視し、敵視するようになったのです。
血まみれの服でカッターを手にしたまま教室へ
辻菜摘は殺害後、血まみれの服でカッターを手にしたまま自分の教室に戻ってきて、担任に助けを求めています。
廊下から走る音が聞こえ、加害者が返り血を浴びた服のまま入口にたたずんでいた。黙りこくる加害者の手にはカッターナイフと血で濡れたハンカチが握られていて、ズボンの裾は水に漬かったように濃さを増していた。
担任は、辻菜摘に連れられて学習ルームにいる御手洗怜美さんの元に行きましたが、御手洗怜美さんは首から大量に出血していて既に手の付けられない状態だったようです。
事件後の辻菜摘は「私じゃない」と連呼した?
殺害後の血だらけの辻菜摘を見た担任は、辻菜摘が怪我をしていると思って心配をしました。
そんな担任に対して、辻菜摘は「私の血じゃない、私の血じゃない」と何度も繰り返していたそうです。
この時の証言はあいまいで、「私じゃない」と繰り返していたともいわれています。
しかし、駆け付けた救急隊員が状況を尋ねると、辻菜摘は自分がカッターで殺したことを白状しました。
被害者が絶命するまで蹴り飛ばしたり踏みつけていた
特に猟奇的と言われているのは、辻菜摘が御手洗怜美さんを殺害した後の行動です。
深さ10センチ、長さ10センチも首を切りつけ、左手は骨が見えるほどえぐられていました。
さらに御手洗怜美さんが絶命するまで15分にもわたって蹴とばしたり踏みつけたりしていたそうです。
後に「死ぬまで待って、バレないように教室に戻った」と供述していることから、当初は自分の犯行を隠そうとしていたことが伺えます。
事件記録廃棄、長崎・小6女児殺害もhttps://t.co/spoCZxysgt
長崎・佐世保の小学校で小6の女児がカッターナイフで切られ死亡した殺害事件(2004年)を巡り、当時11歳で刑事責任を問われなかった同級生の女児に関する全ての事件記録が、2019年に廃棄されていたことが判明しました。 pic.twitter.com/YtHK0iLYqB
— 毎日新聞 (@mainichi) October 20, 2022
2022年11月、裁判記録が廃棄されているというショッキングなニュースが流れましたが、この長崎県佐世保市女子児童殺害事件の記録も廃棄されてしまいました。
なお、上記の画像は辻菜摘のものとされていますが、信憑性はうすく合成されたものではないかといわれています。
佐世保事件後の辻菜摘は?ネバダたんと呼ばれ一家離散も?
恐ろしい佐世保事件を起こした辻菜摘ですが、事件後はどうなったのでしょうか?
事件を受けて辻菜摘は児童自立支援施設であるきぬ川学院に入所しました。
彼女の弁護士は非常に幼い印象を受けた、と語っており、さらに全く正常に見えたので精神鑑定は不要だとコメントを残しています。
事件後①辻菜摘が国立きぬ川病院で模倣犯?手紙は書かなかった?!
きぬ川学院に保護された辻菜摘ですが、事件からたった4年後の2008年には出所し、社会復帰を果たしているようです。
施設内では職員に対し従順で模範的な態度をとっていたようで、そのため早めの出所となったのかもしれません。
とは言え、故意に友人を殺害した犯人がたった4年で社会に戻るというのは怖い気がします。
更に被害者家族への謝罪の手紙などは一通も書いておらず、本当は更生してないのではないかともいわれました。
佐世保小6女児同級生殺害事の犯人辻菜摘は、現在どこで暮らしているのか情報は被害者家族にも公表されていません。
事件後② 辻菜摘は通信制か定時制の高校卒業
辻菜摘の学歴についてですが、小学校は施設に入りながらもなんとか卒業したのち、施設併設の中学校に3年間通い卒業しました。
そして、通信制か定時制の高校を卒業したと言われています。
卒業後は就職したようなので、最終学歴は高卒ということになります。
事件後③ 辻菜摘はネバダたんと呼ばれて人気者に
事件の大きさから辻菜摘はテレビでも広く取り上げられ、写真も出回ることとなりました。
そして、佐世保小6女児同級生殺害事件の加害者辻菜摘の顔が、殺人犯とは思えないほどの可愛いとネット上で話題となります。
しかし実際は、出回った写真はコラ画像の可能性が高く、信憑性は低いといわれました。
また写真で着ていたパーカーに「NEVADA」と書かれていたことから、ネバダたんと呼ばれ、一躍ネット上で人気者になったのです。
『サニー/32』を見ました
1時間50分てこんなに長かった?なんか途中から終わり時間気にしだしちゃった
たぶんネバダたんを元ネタにした作品なのかな?そして(ネットで)神格化される存在はアイドル(偶像崇拝)で記号でしかないという風刺?か?ネットを毛嫌いしている風なのに分かってない描写な気がした pic.twitter.com/wmCOp0Vo5G— 🍩みらい🍹 (@mirai_doubattu) February 12, 2021
「サニー/32」は、辻菜摘がモデルになった作品ではないかともいわれています。
ネバダたんと呼ばれた辻菜摘について、詳しく知りたい方は下記記事を参考にしてください。
事件後④遺族に対して謝罪はした?
4年間を施設で過ごした辻菜摘ですが、遺族に対して謝罪の手紙を書くことは一度もなかったそうです。
また出所後も、遺族に謝罪することはなく更生に関する情報もほとんど遺族には伝えられていません。
一切謝罪の手紙を書こうとしない娘に代わり、辻菜摘の両親が謝罪の手紙を出していましたが、娘が国立きぬ川学院を出た後は、謝罪の手紙がぱったりと途絶えました。
遺族としてはやりきれない思いではないでしょうか。
事件後⑤辻菜摘の家族は一家離散状態に?
辻菜摘には祖母、両親そして姉がいます。
この猟奇的な殺人事件は、そんな加害者家族にも大きなダメージを与えました。
姉は商業高校に通っていましたが事件後は学校を中退、母親は栃木県にある国立きぬ川学院の近くへ引っ越して、辻菜摘の面会などに通っていたようです。
しかし、辻菜摘はホームシックになることもなく、母親と会っても嬉しいそぶりを見せることはなかったといわれています。
事件後両親は別居状態が続いたということです。
父親は事件後もしばらく実家に住んでいたようですが、現在父親の消息は消えたままになっておりどこに住んでいるのか不明です。
一説では母親はそのまま栃木県に住んでいるといわれています。
【2024最新】辻菜摘の現在がヤバい!改名して結婚していた?!
現在では30歳前後を迎えていると思われる辻菜摘ですが、どのように過ごしているのでしょうか。
辻菜摘の現在について正確な情報はなく、インスタがある、多発性骨髄腫など、様々な噂が飛び交っています。
また辻菜摘 は現在、名前を改名し結婚しているという噂もあるようです。
辻菜摘が安部希美に改名した?!現在の年齢は?
辻菜摘は施設に入所後、法務省関係者と養子縁組をし苗字が変わったと言われています。
一部では下の名前も変わっていると言われていますが、定かではありません。
現在の名前は安部希美であるという噂もありますが、当時流行っていたモーニング娘の安倍なつみさんと辻希美さんを合わせただけではないか、と言われガセの可能性が高いようです。
いずれにせよ、辻菜摘の現在の名前をネットから特定することは出来ません。
2004年6月1日の時点で11歳だった辻菜摘は、6月以降の誕生日になり2024年で31歳です。
辻菜摘は仕事や職場を転々としている?
辻菜摘は先述のように高校を卒業後就職をしていますが、事件のことを知られるなどして長くは続かず、職場や家を転々としているようです。
こちらも定かではありませんが、殺人という重い前科を持って苦労しているのでしょう。
加害者の人権を守ることを重視している日本、佐世保小6女児同級生殺害事犯人の現在や仕事に関して、真相を知っている人はわずかなのではないでしょうか。
辻菜摘は現在病気療養中?多発性骨髄腫との噂も?
辻菜摘は多発性骨髄腫を患い療養中だという噂もあります。
多発性骨髄腫とは、骨髄の中の細胞ががん化し、腫瘍となって増殖する病気です。
多発性骨髄腫は治癒が難しく5年生存率は40%、本当であれば既に亡くなっている可能性もあります。
こちらは辻菜摘を名乗るFacebookに書き込みがあり広まった情報のようですが、本人のものである可能性は低く信頼性のある情報とは言えません。
辻菜摘は結婚したとの噂も?
一方で、辻菜摘は結婚しているとの噂もあり、一部では既に子供までいるという噂もあります。
結婚しているとすれば、養子縁組後からさらに苗字が変わっている可能性も高く、現在の名前や状況をつきとめるのはさらに難しいはずです。
中には名字だけ変わっており、名前はそのままではないかという噂もあります。
辻菜摘のインスタはある?
辻菜摘は、インスタなどのSNSはやっているのでしょうか。
結論から言うと、インスタは見つかっていませんが下記のように本人ではないかと噂されるFacebookは存在します。
10年前に起きて世間を揺るがせたNEVADA事件(佐世保小6女児殺人事件)の犯人のネバダたんこと辻菜摘のFacebookが晒されてるらしく、開いたら佐世保に住んでるいとこと友達だったんだけど!!!!!
なにこれ… pic.twitter.com/xmGie1f2pU— Kazuki (@kazbas1404_2) September 16, 2014
ただ、本名でFacebookをやるとは考えにくく、改名したのが本当であればなおさら本人である可能性は低いといえるでしょう。
また、一部では「本人のブログを見つけた」という書き込みもありますが、ブログについても本名でやるとは考えにくく、本人のものである証拠はありません。
佐世保事件は猟奇的で、辻菜摘の現在は噂の域
佐世保小6女児同級生殺害事の背景や様子は、多くの証言がり証明されていますが、犯人である辻菜摘の現在について、正確な情報を得るのは難しい状況です。
謝罪の手紙を一度も書かなかった辻菜摘は、現在何を思いどこに住んでいるのでしょうか。
改めて被害に遭った御手洗さんのご冥福をお祈りするとともに、犯人が深く反省し更生していることを願いたいと思います。
- 辻菜摘が同級生を殺害したとされる場所は「学習ルーム」である。
- 辻菜摘が送致された施設の名前は「国立きぬ川学院」である。
- 事件の背後にあるとされる辻菜摘の家庭環境の問題点は「父親の脳梗塞による寝たきり状態」である。
参考サイト