エド・ゲインは異常性の高い殺人鬼として有名であり、いろいろな映画や漫画などでモデルとなっています。
彼はただ人の命を奪っただけでなく、遺体を集めてはいろいろな作品を作っていました。
遺体と作品が結びつかない人もいるでしょう。
では、エド・ゲインは遺体を使って何をしていたのでしょうか?
また、どうしてエド・ゲインは高い異常性を持つことになってしまったのでしょうか?
目次
世界を震撼させたエド・ゲインとは?
エド・ゲインは異常性の高い殺人鬼として有名です。
アメリカで逮捕された当時は、全米を震撼させました。
また、その異常性は現在でも世界で多くの人を震え上がらせています。
では、そのエド・ゲインとは、どのような事件を起こしたのでしょうか?
エド・ゲインが起こした事件
1957年11月、金物店を経営する息子のフランク・ワーデンは、夕方に出先から店に帰った際に母のバーニス・ワーデンの姿がないことに気がつきます。
店内の床に血溜まりがあったことから、フランク・ワーデンは保安官に連絡をしました。
保安官は調査から近くで農場を経営しているエド・ゲインの自宅を調べることになります。
そこで、まるで鹿でも解体しているかのように、頭が落とされ、内臓が取り除かれて吊り下げられた遺体が発見されます。
その際に、エド・ゲインは家にいませんでした。
しかし、彼がよく訪れる場所はわかっていました。
彼はその場所で発見され、警官がアリバイを確認しようとしたところ、「バーニス・ワーデンがいないのだろう?」と自ら答えたそうです。
警察署に連行して、尋問をするとバーニス・ワーデンの殺害を認めました。
また、1954年に行方不明となったアリー・ホーガンの事件にも関与していたことがわかりました。
エド・ゲインの異常性
エド・ゲインが起こしたと明確になった殺人事件は2件です。
「2件の殺人で全米が震撼した?」と疑問に思った人もいるでしょう。
エド・ゲインの異常性は殺害人数ではなく、その犯行内容です。
彼の自宅を調査した際には、解体されている遺体の他に、複数個の生首や切断された足などが見つかりました。
また、人の骨で作られた食器や、人の皮で作られた衣類なども見つかりました。
これらエド・ゲインの作品の材料となっていたのは遺体であり、それらの遺体は墓から盗んでいたそうです。
見つかった遺体は合計15人分だったと言われています。
さらに、人肉を燻製にして食べていたとも言われています。
漫画や映画のモデルとなる
人の骨や皮で作品を作っていたエド・ゲインは、異常性の高い殺人鬼として有名です。
そのため、漫画や映画などでたびたびモデルとなることもあります。
映画「悪魔のいけにえ」では、レザーフェイスという殺人鬼が人体を材料に家具などの作品を作っています。
また、漫画「るろうに剣心」では、遺体から人形を作る外印(ゲイン)というキャラクターが登場します。
これらはエド・ゲインがモデルと言われています。
中でも、エド・ゲインがモデルと言われるキャラクターで有名なのは、漫画「ゴールデンカムイ」の江渡貝弥作でしょう。
「ゴールデンカムイ」の江渡貝弥作は作中で人の皮で小物や衣服などを作成していて、生い立ちもエド・ゲインに似ている設定があります。
エド・ゲインの作品とは?
エド・ゲインは自宅で遺体を解体して、いろいろな作品を作っていました。
では、そのおぞましい作品にはどのような物があったのでしょうか?
作品①:食器
骨からは食器が作られていました。
それらには、頭蓋骨の上部を切り取って器に加工したものや、柄に骨を使ったスプーンやフォークなどがありました。
また、頭蓋骨は棚に並べられたり、ベッドの装飾などにも使われていたそうです。
作品②:手袋
人の手の皮からは手袋が作られていました。
手の平と手の甲の皮を剥がし、それらを縫い合わせて手袋状にしたとみられます。
また、肉を使って靴下も作っていたとも言われています。
エド・ゲインの作品を見た保安官は皮肉の意味を込めて「丁寧な仕事」と言ったそうです。
作品③:フェイスマスク
マスクは人の顔の皮を剥いで作られていました。
髪まで残されていたので、マスクと言っても人の顔そのものだったようです。
エド・ゲインは人から作ったマスクや衣服を身につけて、夜中に農場を徘徊していたと言われています。
作品④:装飾品
舌や乳首などからは装飾品が作られていました。
遺体の舌は切断して集められてネックレスに加工されていたそうです。
また、乳首はベルトに貼り付けて飾りに使われていました。
作品⑤:家具
遺体からは唇を使った窓の日よけや皮で作ったランプシェード、皮を張った椅子など、家具まで作られていました。
エド・ゲインは遺体を解体する際には、作成したマスクや衣類を身につけてハイテンションで行っていたそうです。
また、遺体を集めるための墓の情報は、新聞の死亡記事や近くで行われる葬式に出席するなどして収集していたようです。
作品⑥:胴着
エド・ゲインの有名な作品の1つが胴着です。
遺体の皮膚をつなぎ合わせて作られていて、エプロンのようになっています。
つなぎ合わせられた皮膚は耳・口・顔など、どこの皮膚が使われているのか見た目でわかります。
エド・ゲインの生い立ちは?
エド・ゲインは遺体から衣類や家具などを作っていました。
どうしてこのような異常な行動を取ったのでしょうか?
その理由は彼の生い立ちにあると言われています。
エド・ゲインの両親
エド・ゲインの父ジョージは重度のアルコール中毒であり、転職も繰り返したいたそうです。
その様子から、母オーガスタは「父のようになるな」「ジョージが亡くなればいい」などと口にしていたと言われています。
また、オーガスタは熱心なルター派であり、教育に厳しかったとも言われています。
母の教育方針
オーガスタは子どもに外部からの悪影響を受けないために、学校では友達を作らないように教えていました。
もし、友達を作ると罰が与えられたそうです。
性については特に厳しく、若い女性はすべて穢れているという偏った教えをしてとも言われています。
閉鎖的な環境で育ったためか、エド・ゲインは内気な性格になりました。
ただし、同級生や教師などは「子ども時代の彼はおとなしい印象もあったが、急に笑い出したり情緒が不安定だった」と言っていたそうです。
家族を失う
1940年、エド・ゲインが30代前半のときに父ジョージが心臓発作で亡くなります。
また、1944年に兄ヘンリーが山火事で亡くなります。
さらに、兄ヘンリーが亡くなってからすぐに母オーガスタが脳卒中で倒れて要介護の状態となり、1945年には母オーガスタも亡くなりました。
エド・ゲインはわずか5年で家族を失ったのでした。
特に、厳しい教育によって絶対的な存在となっていた母の死は、エド・ゲインに大きなショックを与えたとされています。
また、そのショックが精神に大きな影響を与え、エド・ゲインは異常性の高い行動を取るようになったと考えられています。
事件後のエド・ゲインは?
エド・ゲインは逮捕後、「精神障害があり、回復の見込みなし」と判断されて無罪となり、精神病院に収容されます。
しかし、1968年に「裁判は可能」と医師から判断されたことで、裁判が開かれます。
結果は有罪でしたが、刑務所ではなく再び精神病院に収容されることになりました。
その後、エド・ゲインは1984年まで精神病院で穏やかに過ごし、その一生を過ごしました。
少し悲しくも感じられるエド・ゲイン
エド・ゲインは映画「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスや漫画「ゴールデンカムイ」の江渡貝弥作などのモデルとも言われています。
そのため、映画や漫画などを通して知った人もいるでしょう。
他人の命を奪ったり、遺体で家具や衣類を作ったりなど、許されることではありません。
しかし、エド・ゲインは母の厳しすぎる教育や、家族を失ったことなど、環境による影響を強く受けすぎた少し悲しい人と見る人もいるようです。
もし、環境が違ったり、手を差し伸べる人がいれば、エド・ゲインはこれらの事件を起こさなかったのかもしれませんね。