【監禁王子】小林泰剛の衝撃の現在がヤバい?監禁事件犯の家族や異常性癖を調査!

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みなさんは「監禁王子」をご存知でしょうか?

「監禁王子」は、二度にわたって複数の女性を監禁する事件を起こした犯人である小林泰剛(こばやしやすよし)につけられたあだ名です。

犯人のルックスとナルシストっぷりから、王子のあだ名がつけられたようです。

今回は、小林が起こした事件の概要と、犯人の家族について、そして現在について解説します。

監禁王子が起こした北海道・東京連続少女監禁事件を解説!

監禁王子こと小林泰剛は、北海道と東京において連続して少女監禁事件を起こします。

まずはその二つの事件について、事件の概要と背景、そして判決についても解説します。

北海道で2人の女性を監禁【第一事件】

最初の事件は2001年、北海道で起きました。

小林は当時住んでいた北海道江別市で女性二人と知り合い、自宅に連れ込んで約二週間にわたり監禁します。

一人は当時20歳無職の女性で、ペット用の首輪をつけさせ、自らを「ご主人様」と呼ばせていたようです。

そしてもう一人は当時19歳の女性で、監禁中の扱いはこちらの女性の方が酷く、包丁で足を切りつけたり、熱湯を身体にかけるなどしていました。

19歳のほうの女性は解放されたのちに警察に被害届を提出しており、これによって小林は逮捕されることとなります。

1200万で示談し執行猶予5年が確定

監禁で逮捕された小林ですが、示談金を被害女性に支払って示談することになります。

この背景には資産家である父親の存在があり、1200万円もの大金を示談金として用意することができたようです。

また、被害女性側としては、事件によって心に大きな傷を負っていると考えられ、裁判で事を長引かせるよりも、示談によって早く事件のことを忘れたいという気持ちがあったのかもしれません。

結果として小林はすぐに服役することはなく、五年の執行猶予を受けることとなります。

しかし、これによって小林は反省する機会を失い、次なる事件を起こしてしまいます。

東京で18歳の少女を監禁【第二事件】

執行猶予中だった小林は東京に転居し、インターネット上のチャットで知り合った当時18歳の女性と交際するようになります。

女性は兵庫県出身でしたが、脅迫して上京させ、マンションやホテルで三か月に渡って監禁しました。

北海道での監禁時と同じくペット用の首輪をつけさせていました。

被害女性は自力で脱出して保護されましたが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、ひどく衰弱していたそうです。

小林はこの事件で再逮捕され、懲役14年の判決を受けることになります。

その他にも複数の女性を監禁

二つの事件で逮捕された小林ですが、それ以外にも北海道で当時19歳の女性、青森県で当時17歳の女性、東京都で当時22歳・当時23歳の女性の計四人を監禁したとして逮捕されています。

監禁王子・小林泰剛の犯行の動機とは?異常な性癖が関係?

以上のように多くの若い女性を監禁していたという小林ですが、その動機はどのようなものだったのでしょうか。

小林は女性を拘束したり暴行したりすることで支配する、いわゆる「調教もの」とよばれるアダルトゲームに熱中しており、女性に対する支配欲が異常に強かったようです。

また、周囲に「ハーレムを作る」と言いふらすなどナルシスト的な性格が強く、女性をものにしたいといった欲求から犯行に及んだと思われます。

監禁王子の趣味はコスプレ!逮捕時にもコスプレをして話題に

そんな監禁王子こと小林ですが、先述のアダルトゲームの他にも漫画やアニメ、コスプレの趣味があったそうです。

事件前から美少女ゲームに登場する男性キャラクターのコスプレだけでなく、女子の制服姿など、女装のコスプレも行っていたようです。

また、逮捕され護送されている際には「テニスの王子様」に登場するジャージのコスプレをしており、話題となりました。

ネット上では「小林香澄」や「碧(へきる)」といったハンドルネームで活動を行っていたようです。

法廷にも上下白スーツ姿で現れた

逮捕後の法廷でも、小林は上下白スーツ姿という「王子」ファッションで登場し、腰をくねらせながら自分に陶酔しきった様子で罪状に反論していました。

法廷では、「私は10歳のころからSMの世界にいる」などと語っていたようです。

自らの犯した罪についても、「SMプレイ」の延長くらいにしか思っていなかったことが伺えます。

このような態度から反省の色がないと判断され、小林は2007年10月に懲役14年の実刑判決を受けることとなります。

監禁王子の生い立ちとは?異常性癖は複雑なエリート一族が原因?

ナルシストな性格と支配欲から複数の監禁事件を起こした小林ですが、その生い立ちはどのようなもので、どんな家族のもと育ったのでしょうか?

小林は青森県五所川原市の資産家、いわゆるエリート一族である木村家に生まれました。

小林の生い立ちや家族について解説します。

中学時代のあだ名は王子

エリート一家に生まれた小林は、毎日学校に車で送迎してもらうなど、過保護に育てられました。

それによって同世代の友人と交流する機会を失い、「他人はすべて自分のために手配・援助してくれるのが当然である」というわがままな性格に育ちました。

こうして中学時代には周囲に疎まれるようになり、皮肉を込めて「王子」と呼ばれていました

父親は資産家の木村泰幸

小林の実家である木村一族は、青森で複数の幼稚園や保育園を経営する資産家でした。

非常に裕福な家庭で、小林はお金のことで不自由することは何一つなかったようです。

小林の父親である木村泰幸も木村簿記経理学校を経営していたほか、木村泰幸税理士事務所を経営する税理士でもありました。

そんな父親ですが小林泰剛本人とは仲が悪かったようで、小林は父親に憎しみを抱いていたとも言われています。

最愛の母が自殺

父親と仲が悪かった小林にとって、母親が唯一心を許せる存在でした。

しかし、母親は早期に自殺でこの世を去ります。

原因は夫婦仲の問題だったのではないかと言われています。

最愛の母を失った小林は相当ショックを受けたようで、家出をするように実家を飛び出して一人暮らしをするようになります。

監禁王子はマザコンだった

小林はマザコンだったと言われています。

小林が小学生のときには母親が高級車で送り迎えをしていたり、思春期には恋愛の段取りをしていたりと、かなり母親と息子としては深い関係だったようです。

また、小林が監禁事件を起こしたマンションの机には、母親の写真が飾ってあったそうです。

叔父は元青森県知事でセクハラ問題を起こし失職

小林が生まれた木村一族には、父親の他にも知事や警察署長といった政治家が複数おり、それも名家と呼ばれる所以となっていました。

しかし、元青森県知事であった叔父の木村守男はセクハラ問題を起こして失職し、2015年に政界を去っています。

この問題を起こしたのは既に小林が事件を起こし、監禁王子として知られたあとだったため、余計に話題となったようです。

元警視署長の祖父はインタビューで問題発言

木村守男の祖父も、元警察署長という社会的地位の高い人物でした。

しかし、木村守男の起こしたセクハラ問題についてのインタビューで、「肌の露出が多い女性は、誘っていると思われても仕方がない」など、被害者側に非があるというような発言し、問題となりました。

木村一族はエリート一家と呼ばれていたせいか、世間一般の感覚とはかけ離れた、非常識な人間が多かったことが伺えます。

監禁王子の現在は?改名や結婚の噂について調査!

複数女性への監禁罪で世間を騒がせ、懲役刑を受けた小林ですが、逮捕後はどのように過ごしているのでしょうか

ネット上では改名や、結婚したといった噂も出ています。

実際のところ現在ではどうなっているのか、調査しました。

勾留中にも結婚!監禁王子は4度の結婚歴

小林には4度も結婚と離婚を繰り返しており、驚くことに事件後の拘置中にも結婚し、わずか二か月で離婚しています。

また、こちらも驚くべきことですが監禁事件の被害者の少女も結婚相手の一人だったようです。

結婚には少女自身の意思もあったのか、脅されて結婚させられたのかは気になるところですね…。

監禁王子は何度も名前を変えていた!現在の名前は石島泰剛

「木村家に生まれたのに苗字は小林?」と気になった方もいると思いますが、小林は何度も名前を変えています。

もともと木村姓で生まれた小林ですが、母親の死によって実家を離れた際、入門した空手道場の印鑑を無断で借用し、勝手に養子縁組をして小林姓に変更したそうです。

これは不仲だった父親との関係を断ち切るためだったと考えられます。

その後も結婚と離婚を繰り返すたびに苗字を変更しており、現在では最初の結婚相手の姓を使って石島泰剛名乗っているようです。

監禁王子は2021年に出所した?

小林は懲役14年に加え、その前の執行猶予が取り消されたことで懲役3年が追加されています。

しかし、入所したのが2005年ですから、2021年に出所したのではないかと言われています。

一部では、出所前に獄中で弁護士を雇い、自らに関する記事を書いた出版社を名誉棄損で訴えていたと報道されています。

監禁王子・小林泰剛が起こした事件、生い立ち、家族についてまとめ!

複数の監禁事件を起こし逮捕された小林泰剛(現・石島泰剛)について、その事件の概要と犯人の生い立ち、家族についてまとめてきました。

お金には苦労しないエリート家庭に育った小林ですが、わがままで歪んだ性癖の持ち主になり、事件を起こすに至ったようです。

身勝手な事件を起こし反省の色を示さない犯人に対し、「王子」などと呼んでもてはやすことにも、問題があると言えるかもしれません。