ギランバレー症候群の芸能人&有名人25人!筋肉が動かせなくなる難病で治療法は?【2024最新】

ギランバレー症候群の芸能人&有名人25人!筋肉が動かせなくなる難病で治療法は?【2024最新】 芸能全般

ギランバレー症候群とは、1916年にフランスのジョルジュ・ギラン氏とジャン・アレクサンドル・バレー氏らによって報告された病気で、日本では指定難病に認定されています。

主な症状としては、末梢神経の障害にとって手や足がしびれたり、急速な筋力な低下が表れます。

ほとんどの人は、元の状態まで回復しますが、重症化してしまった場合は後遺症が出ることもある恐ろしい病気です。

また、ギランバレー症候群は、周りの人にうつる可能性はあるのでしょうか。

今回は、ギランバレー症候群を患ったことがある有名人を23人リサーチしていきたいと思います。

目次

ギランバレー症候群とは?原因はストレスで初期症状は?

ギランバレー症候群は、小さな子どもからお年寄りまでどの年齢でも発症する可能性がありますが、いくぶん男性に多い傾向があります。

症状が軽度であれば半年から1年で治るとされていますが、約20%の人に後遺症が出るという報告もあります。

発症する原因に、ストレスは関係しているのでしょうか。

また、周りの人にうつる可能性はあるのか気になりますよね。

10万人に1人から2人に発症するといわれているギランバレー症候群について詳しく見ていきましょう。

ギランバレー症候群とは?うつるって本当?

ギランバレー症候群という病気は、末梢神経の障害によって突然手足に力が入らなくなってしまう病気です。

筋力が低下していくスピードはとても速く、物がつかみづらくなったり、階段を昇れなくなるなどの運動麻痺があらわれます。

また、呼吸をする筋肉に障害が起きてしまうと人工呼吸器の装着が必要となります。

人にうつる伝染病なのではないかと不安に思う方も多くいますが、この病気は感染症や遺伝ではないため、家族や友人など周りの人にうつるという心配はありません

ギランバレー症候群の症状や原因は?死亡例もある?

ギランバレー症候群は原因不明の難病ですが、一般的に何かしらの感染症が要因となり発症すると考えられているようです。

現に60~80%の人が、ギランバレー症候群を発症する3~4週間前に、風邪などの呼吸器感染や下痢などの胃腸炎に感染しているという事実があると認められています。

私たちの体には、病気から体を守る免疫があり、体内に侵入した病原体やウイルスなどの異常な細胞を排除してくれています。

しかし、この免疫システムに異常が起きると、自分の末梢神経も異物であると同一視して攻撃をしてしまうのです。

原因はストレスというわけではなさそうですね。

主な症状は?

ギランバレー症候群の初期症状として、足に力が入らなくなる、手足が痺れるなど、筋力の低下により自分が思うように体を動かせなくなってしまう場合が多いです。

もしこのような初期症状が出たら、1ヵ月前くらいに風邪などをひかなかったか思い返してみましょう。

重症化してしまうと、脱力やしびれは全身に広がり歩くことやお話をすることなども困難になります。

さらに症状が進行すると、寝たきりになり呼吸もできなくなるため人工呼吸器の装着が必要になるようです。

死亡例は?

ギランバレー症候群を患い症状が重症化しても、ほとんどの人が元の生活を送れるまでに回復します。

しかし、最善の治療を行っても約2~3%の人が、肺血栓、血液感染症や呼吸筋の麻痺などの合併症で死亡に至るケースがあるようです。

【日本人編】ギランバレー症候群の有名人18選!

ギランバレー症候群を患った経験がある有名人には、一体どんな人がいるのでしょうか。

完治して、その後も活躍されているのか気になりますよね。

忙しくて休む暇もないイメージがある有名人ですが、ストレスは本当に関係していないのでしょうか。

はっきりとした原因は分かりませんが、年齢、症状や回復するまでに要した期間も様々です。

この病気がきっかけで死亡された方はいるのかどうかも知りたいところです。

まずは日本で活躍された、または現在も活躍されているギランバレー症候群にかかったと公表している有名人を18人ご紹介します。

ギランバレー症候群の有名人①中村うさぎ 

中村うさぎさんは、1958年生まれで福岡県出身の作家です。

2013年の8月上旬に、手の震えや足に力が入らないなどの初期症状を訴え入院されます。

翌月にはなんと心停止と呼吸停止の状況になり一命を取り留めるものの、意識不明の状態が3日間も続いたようです。

当時は、あらわれた症状からギランバレー症候群ではないかとの疑いでしたが、のちに難病の「スティッフパーソン病」という診断を受けました。

退院してしばらくは車椅子での生活でしたが、旦那様の献身的な介護のサポートもあり、発症してから7年後には杖で歩けるようになったようですね。

こちらのYouTubeでは、中村うさぎさんがドラァグクイーンのドリアン・ロロブリジーダさんをゲストにお迎えして取り調べをする動画です。

過激な内容もありますが、お元気な中村うさぎさんに会えますので是非ご覧になってくださいね。

ギランバレー症候群の有名人②安岡力也

安岡力也さんは、1947年生まれでイタリア出身の俳優であり歌手でもありました。

2006年にギランバレー症候群を発症し、約4年間治療とリハビリに専念し、2010年に復帰後初めての仕事として「徹子の部屋」に出演されます。

ギランバレー症候群の症状がピークに達した時には、会話も、体を動かすこともできなくなり、想像を絶する体の痛みと闘い続けました

そのストレスは計り知れません。

そんな安岡力也さんを支えたのは、息子の力斗さんだったと語っていたようです。

しかし、その後も肝硬変や肝細胞癌を同時に起こし手術を受けますが、容体が急変し2012年4月8日に心不全のため65歳で亡くなってしまいました。

ギランバレー症候群の有名人③有村竜太朗

ヴィジュアル系ロックバンド「Plastic Tree」のボーカルである有村竜太郎さんは、1973年生まれで出身は福岡県です。

2010年12月に高熱を出したあと、体に力が入らないという初期症状があったため急遽入院、検査の結果、ギランバレー症候群という診断を受けました。

しかし、発見が早かったため回復も早く2011年には活動を再開したとのことです。

ファンの皆様は、とても安心されたことでしょう。

やはり早期発見はとても大事なのですね。

ギランバレー症候群の有名人④鴨下信一

鴨下信一さんは、1935年生まれの東京都出身で、「ふぞろいの林檎たち」や「高校教師」など数々の大ヒットドラマを手掛けた演出家です。

1999年にギランバレー症候群を発症し、たった一夜で左足の親指1本しか動かせなくなってしまったようです。

症状の進行の速さがうかがえますね。

一晩で、自分の体の99%以上が動かなくなるストレスは、経験した方でないと分からないでしょう。

鴨下信一さんは、自分で呼吸することもできなくなってしまったため、人工呼吸器の装着も行っています。

症状は重症でしたが療養期間は10ヵ月と短く、回復されたようです

2021年2月10日に肺炎のため85歳で亡くなりました。

ギランバレー症候群の有名人⑤久保大樹

水泳選手である久保大樹さんは、2012年の24歳のときにギランバレー症候群を発症し、首から下が全く動かなくなったこともあったようです。

半年間、懸命にリハビリを頑張り、歩けるまで回復したときに水泳競技を再開されました。

両脚に麻痺が残るなか、パラ水泳にも挑戦をされ多くの大会で活躍しています。

2024年に開催されるパリパラリンピックで、久保大樹さんの姿を見ることができるのでしょうか。

代表に正式に決まることを願っています。

ギランバレー症候群の有名人⑥大原麗子

大原麗子さんは、1946年生まれで東京都出身の昭和を代表する女優さんです。

29歳でギランバレー症候群を発症しましたが、その後は回復し女優の仕事を続けていました。

しかし、53歳のときにギランバレー症候群が再発して芸能活動を休止します。

芸能界復帰に向けて、筋力回復のためリハビリを頑張られていたようですが、連絡が取れないことを心配した実の弟さんによって、自宅で孤独死されていた大原麗子さんが発見されました。

死亡の原因は、不整脈による脳内出血であると診断されたようです。

享年62歳、悲しくて非常に辛い最期となりました。

ここでご紹介しているサントリーレッドのCMは、当時とても人気があり、約10年間も続きました。

可愛らしくて綺麗で、和服の似合う大原麗子さんは本当に素敵ですね。

ギランバレー症候群の有名人⑦ぐれいす 

ユーチューバー、ブロガーとして活動されているぐれいすさんも、ギランバレー症候群の発症を公表している有名人のうちのひとりです。

ぐれいすさんは、幼い頃から体が弱かったようで、ギランバレー症候群の他にも30以上の疾患を抱えて苦しんでいるようです。

ギランバレー症候群を患った経験のある有名人として、自身の闘病生活などをブログで発信するなどの活動をされています。

ギランバレー症候群の有名人⑧佐藤寿人

1982年生まれの埼玉県出身で、元プロサッカー選手で日本代表の経験もある佐藤寿人さんも、2002年にギランバレー症候群を発症しました。

しかし、症状は軽度だったようで回復までもとても早かったと考えられています。

2020年に引退してからは、解説者や指導者として多方面で活躍されています。

将来、Jリーグの監督としてお目にかかれる日がやってくるのでしょうか。

とても楽しみですね。

ギランバレー症候群の有名人⑨福永泰

1973年に東京都で生まれた福永泰さんは、元プロサッカー選手です。

1997年のある日、突然体の脱力感を感じ、ボールを蹴ってもいつものように遠くまで飛ばなくなってしまいました。

自分の体に何が起きているのか理解ができないまま、数日後に医師から下された診断が、ギランバレー症候群でした。

1998年に現役復帰を果たしますが、左膝の前十字靭帯損傷という大きな怪我により、2004年に現役を引退されます。

現在は、サッカースクールで指導者として活躍されています。

ギランバレー症候群の有名人⑩石川真二

石川真二さんは、1970年生まれで福岡出身の競艇選手です。

2001年にギランバレー症候群を発症しており、その症状は重症で一時は命に関わる状態にまでなったようです。

しかし、懸命な治療と熱心なリハビリで、4ヵ月というとても早いスピードで競艇選手として復帰を遂げました。

石川真二さんは、レースの成績も優秀でいまだ現役で活躍されています。

アスリートのパワーは凄まじいですね。

ギランバレー症候群の有名人⑪表光代

マラソンランナーである表光代さんも、ギランバレー症候群を発症した有名人のひとりです。

症状の度合いは重く、7ヵ月間人工呼吸器を装着し寝たきりの状態が続きました

もう一度フルマラソンを走りたいという強い思いが原動力となり、リハビリを必死に頑張られました。

現在、症状は改善していますが、両手と両脚に麻痺が残ってしまったようです。

後遺症と向き合いながら、今もマラソンランナーを続けておられます。

ギランバレー症候群の有名人⑫川口順子

1941年に東京都で生まれた川口順子さんは外務大臣や環境大臣を歴任された元政治家で、ギランバレー症候群を患った有名人のひとりです。

2007年、66歳のときにいつものように講演会やミーティングを渡り歩いていました。

席を立った瞬間に、脚の痺れを感じた川口順子さんでしたが、疲れが溜まっているのだろうとあまり気に留めなかったようです。

しかし、その日の夜に体中に痛みを感じ、朝起きると体に力が入らなくなっていました

結果は、ギランバレー症候群を発症していてすぐに入院となったようです。

症状は軽かったそうで、車椅子に乗りながら政治活動を続けられました

現在は完治されていますが、当時の激務によるストレスも原因として関係しているのだはないかと気になるところではあります。

ギランバレー症候群の有名人⑬芳根京子

映画にドラマに大活躍中の芳根京子さんは、1997年東京都出身の女優さんで、お酒好きとしても知られています。

そんな芳根京子さんも、ギランバレー症候群を患った有名人のひとりです。

中学2年生のときにギランバレー症候群を発症し、手足に力が入らず1年ほど学校に行けない時期もあったとコメントしていたようです。

通学しながら治療を続け、後遺症もなく、完全に克服されています。

芳根京子さん自身の病気に対する明るく前向きな気持ちと、ご家族の献身的な支えも相まって、無事に克服に至ったのでしょう。

ギランバレー症候群の有名人⑭美馬寛子

2008年にミス・ユニバースジャパン代表にも選ばれた美馬寛子さんは、1986年に徳島県で生まれたモデルで実業家でもあります。

中学1年生のときにギランバレー症候群を発症し、右手と右脚の麻痺が表れました

治療に専念した結果、わずか3ヵ月という驚異的なスピードで克服されています。

リハビリの一環として始めた陸上競技の走り高跳びで頭角を現し、素晴らしい成績も収めています。

ギランバレー症候群の有名人⑮阿部守一

1960年生まれで東京都出身の阿部守一さんは、現在長野県知事を務めています。

1999年にギランバレー症候群を発症し、症状のピーク時にはベッドに寝たきりの状態でした。

当初はなかなか病名を特定できず、ギランバレー症候群を突き止めたのは鍼灸師の方だったようです。

現在は完全に克服し、2010年から今もなお長野県知事としてご尽力されています。

ギランバレー症候群の有名人⑯兼元謙任

1966年生まれで、愛知県出身の実業家である兼元兼任(かねもとかねとう)さんも、ギランバレー症候群になったことのある有名人のひとりです。

最大級のQ&Aサイト「OKWave」の創設者であることもでも有名ですよね。

兼元兼任さんは、小学6年生のときにギランバレー症候群を発症し、高校まで何度も入退院を繰り返していたようです。

病気の始まりは小学5年生のときに受けた壮絶なイジメだとお話しされていました。

原因として、強いストレスも関係していたのではないでしょうか。

長く辛い闘病生活を乗り越え、現在は病気を克服されています。

ギランバレー症候群の有名人⑰佐藤和久

佐藤和久さんは、ジャパンアクションクラブでアクションを学んだ俳優さんで、「遠山の金さん」などの時代劇に多数出演しています。

2021年に友人である女優・石田ひかりさんが、自身のインスタグラムで佐藤和久さんがギランバレー症候群を発症し、闘病していたことを明かしました。

発症初期は何カ月も目を開けられないほどの重症だったのですが、2022年5月に回復して退院したとのことです。

退院後も歩行困難などの症状が残っていますが、元気にリハビリを続けています。

ギランバレー症候群の有名人⑱梅宮アンナ

2019年、梅宮アンナさんの長女(当時17歳)が、ギランバレー症候群の疑いで入院しました。

脚が腫れて体に力が入らなくなったことから、ギランバレー症候群が疑われたのです。

しかし、血液検査や骨髄検査によりギランバレー症候群ではないことが分かっています。

原因は精神的なものではないかと言われ、数カ月で快方に向かったとのことでした。

【海外編】ギランバレー症候群の有名人7選!

ここからは、ギランバレー症候群を患い病気と戦った海外の有名人を7人ご紹介します。

スポーツ選手に多く見られるのは気のせいでしょうか。

発症した年齢や、療養期間、後遺症の有無などもさまざまです。

亡くなった方もおられますが、現在も活躍されている方もいらっしゃいます。

それでは早速見ていきましょう。

ギランバレー症候群の有名人①マルクス・バッベル

マルクス・バッベルさんは、1972年にドイツで生まれた元サッカー選手であり、ドイツ代表としてワールドカップフランス大会にも出場した経験があります。

2001年にギランバレー症候群を発症し、両手両脚が麻痺してしまい戦線離脱せざるを得ない状況に陥りました

しかし、治療とリハビリを懸命に行い、2004年には現役復帰を果たします。

2007年に引退されてからは、コーチや監督として現在も活躍中です。

ギランバレー症候群の有名人②スコット・マッケンジー

アメリカのフロリダ州で1939年に生まれたスコット・マッケンジーさんも、ギランバレー症候群の経験がある有名人のひとりです。

シンガーソングライターで、代表作には「花のサンフランシスコ」があります。

2010年にギランバレー症候群を発症してからは、ずっと入退院を繰り返していたようです。

2012年にロサンゼルスの自宅で、73歳で亡くなられました。

ギランバレー症候群の有名人③ジョセフ・ヘラー

ジョセフ・ヘラーさんは、1923年にアメリカのニューヨーク州で生まれました。

風刺作家や、小説家として活動され、第二次世界大戦中のアメリカ兵を描いた小説「キャッチ22」は、とても有名な作品です。

1981年にギランバレー症候群を発症、症状が重かったため集中治療室に入れられました

症状が落ち着いた6ヵ月後にリハビリ施設に移り、病気を完全に克服したようです。

ジョセフ・ヘラーさんは、自身の経験を自伝「笑いごとじゃない‐世にも明るい闘病記」に著しています。

ギランバレー症候群の有名人④フランクリン・ルーズベルト

1882年生まれ、アメリカの第32代大統領を務めたフランクリン・ルーズベルトさんも、ギランバレー症候群を患った有名人のひとりです。

39歳でポリオに罹患してから車椅子での生活を余儀なくされました。

この時にかかった病はポリオではなく、ギランバレー症候群だった可能性があると考えられています。

また、当時はテレビのない時代でもあったため、アメリカの国民のほとんどは大統領が車椅子で生活しているということを知らなかったようです。

高血圧だったという大統領は激務の中、脳出血が原因で息を引き取りました

亡くなる前の大統領の血圧は、上が300で下が200近くもあったようで大変驚きです。

ギランバレー症候群の有名人⑤オスカル・タバレス

1947年ウルグアイ生まれのオスカル・ワシントン・タバレス・シルバさんは、サッカーのウルグアイの代表監督を15年務められました。

2018年にギランバレー症候群を発症していると公表した有名人のひとりで、現在も闘病中とのことです。

ロシアワールドカップでは、杖を突きながら試合に臨んだ姿もみられました。

ギランバレー症候群の有名人⑥ロウディ・ゲインズ

1959年にアメリカで生まれたロウディ・ゲインズさんは、アメリカを代表する水泳選手です。

1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックでは、100m自由形、400mリレーと400mメドレーリレーの3種目で金メダルを獲得する快挙を成し遂げました。

1991年、32歳のときにギランバレー症候群を発症し、2ヵ月間入院をされたようです。

現在は完治されています。

競泳の解説者に転身し、今も活躍中です。

ギランバレー症候群の有名人⑦ハンス・フォンク

1942年に生まれたハンス・フォンクさんは、オランダのアムステルダム出身の指揮者です。

1988年にギランバレー症候群を発症し、1年間の治療やリハビリを経て復帰を果たします。

しかし、2002年には筋萎縮性側索硬化症(ASL)という難病に罹患し、体が思うように動かせなくなり、指揮者を引退しました。

2004年に62歳で亡くなられています。

ギランバレー症候群の治療法とは?

ギランバレー症候群の治療には、どんなものがあるのでしょうか。

発症してすぐでなお且つ、その初期症状が軽い場合には経過観察となり、ビタミンB12などの内服薬が処方されるようです。

初期の段階だと、飲み薬で済むのですね。

診断を受けたらなるべく早い段階で治療に取り掛かることで、早い回復が見込めるようです。

その他にも、歩行が困難になってくるなど症状が悪化している場合には、以下でご紹介する治療法が中心となるようです。

早速見ていきましょう。

治療法①免疫グロブリン大量療法

免疫グロブリン大量療法とは、免疫グロブリンという血液製剤を5日間毎日点滴する治療をいいます。

血漿交換療法に比べて体への負担も少なく、小さな子どもに対しても可能な治療法のようです。

治療法②血漿(けっしょう)交換療法

血漿(けっしょう)とは、色々な種類のタンパク質を含む血液の液体成分です。

血漿交換療法とは、血液の中にある病気に関する物質を除去してから、再度体の中に戻すという治療で、1、2日おきに5回前後行われるようです。

どちらも免疫反応を調整する目的で行われ、表れる効果にほとんど変わりはありませんが、第一に選択される治療としては、免疫グロブリン大量療法が多いようです。

ギランバレー症候群の有名人23選!死亡例もある難病で早期発見が大切

今回は、ギランバレー症候群を患った経験がある有名人のご紹介と、原因や症状などについてまとめましたが、いかがでしたか。

この病気は、感染症や遺伝でもないため、大切な人にうつる可能性は無い病気です。

死亡に至るともいわれていますが、治療やリハビリなどの辛い時期を乗り越え、元の生活を送れるようになるまで回復されている方も多いようです。

このような姿を見聞きすると、私たちが励まされ勇気をもらいますよね。

誰しもが、あらゆる年代でかかる可能性のある病気なので、体に異変を感じたら直ちに医療機関で診てもらいましょう。