バセドウ病という病気をご存じでしょうか。
甲状腺の異常により、本来身体を守る役割をする甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることでさまざまな部位・器官に障害が起きてしまう病気です。
1000人あたり3人は発症するといわれているバセドウ病。
具体的な症状から予防策、由来や発症後の対策までをバセドウ病に苦しんでいる芸能人・有名人のエピソードも交えて詳しく紹介していきたいと思います。
バセドウ病とは?
1840年、ドイツの医師カール・フォン・バセドウが未知の病気を発見します。
身体の様々な部位に異常が出る、原因不明の奇病でした。
彼はその未知の病気の研究に人生を捧げることとなります。
そして後年、研究が進み病名を名付ける際に発見者である彼の名前を取って「バセドウ病」と呼ばれるようになりました。
ちなみに欧米圏では同じ研究をしていたアイルランド人医師の名前をとって「グレーブス病」とも呼ばれているそうです。
バセドウ病の症状とは?顔つきに変化が?
バセドウ病の症状はさまざまですが、代表的なものとして主に3つが挙げられます。
ひとつは甲状腺の腫れ。
甲状腺とは、のどぼとけの下あたりにある左右に広がったチョウの羽のような形をした臓器で、この甲状腺がうまく機能しなくなってしまった臓器周辺に、ひどい腫れが生じてしまいます。
二つ目の症状が頻脈。
普通の人間なら平常時の脈拍は1分間に60~多くて90ほど。
しかし、バセドウ病患者は安静にしている状態でも脈拍は110を超えることもあります。
その状態が続くと、不整脈なども誘発され大げさではなく命の危険もあるのです。
三つ目は眼球の突出です。
バセドウ病の最も有名な症状といっても過言ではないこの症状。
眼球の後ろ側にあり眼球を支える脂肪組織、眼球運動を行うための筋肉の部分が炎症やむくみを起こすことによって腫れあがり、その結果眼球が前に押し出されることによって発症します。
また眼球の突出など、症状が進行することでギョロっとした目つきになってしまい、発症前と後で別人のような顔つきになることも珍しくありません。
バセドウ病の人がやってはいけないことはある?
バセドウ病になってしまった場合、危険とされることが激しい運動です。
特に、甲状腺異常が強く出ている状態で運動を行うと頻脈が悪化し死に繋がることもあります。
そして最も注意しなければいけないことはストレスです。
バセドウ病の症状を悪化させる最も大きな原因とされるのが精神的ストレスなのです。
適度な睡眠・休息を取り、仕事の量・時間についても緩和することが望ましいと言われています。
また、喫煙なども症状の回復が遅くなってしまうためNGとのこと。
【男性】バセドウ病の芸能人8選!あのサッカー選手も?!
誰もが知っているあの芸能人も実はバセドウ病に苦しめられているのです。
辛い状況にありながらバセドウ病を克服、あるいは闘い続けながら輝きを放つ芸能人たちを紹介していきます。
①YOSHIKI
X JAPANのリーダー、そして世界的に知られる音楽プロデューサーとして知られるYOSHIKIさん。
熱狂的なドラミングで知られる名ドラマーである彼はその激しいプレイの代償として椎間板ヘルニアを発症してしまい、長い間痛みと闘いながら音楽活動を続けていました。
しかし2010年、ヘルニアの悪化により手術を余儀なくされます。
そして手術前の術前診断でなんと、甲状腺機能亢進症、つまりバセドウ病を併発していることが判明したのです。
診断される以前から身体が異常に疲れる、疲れから気を失ってしまうことが度々あったとYOSHIKIは後に告白しています。
しかしバセドウ病発覚後もYOSHIKIさんは定期的な検診、そして治療を行いながら休止することなく活動を続け、今も音楽ファンに夢を与え続けています。
②本田圭佑
現代、日本サッカーにおいてカリスマともいえる実績を残した本田圭佑選手。
彼は実は公式に「バセドウ病である」とは発言していません。
ではなぜそれが噂されるようになったのでしょうか
それは外見の明らかな変化が原因となっているようです。
2010年、名門CSKAモスクワに移籍を決めた本田選手。
日本人初のロシア・プレミアリーグでプレーする選手として国内外から注目を浴びますが、この時の本田選手の顔が話題となりました。
両目が飛び出し、心なしか黒目も大きくなっているような…。
そう、バセドウ病の典型的な症状と外見の変化が酷似していたのです。
そしてACミランの移籍した後の2014年、首に手術跡のような傷があることが発覚します。
前述の眼球突出の疑いもあったため、この手術痕は甲状腺腫瘍の摘出のために行ったのではないかと噂されるようになったのです。
事実、本田選手はこの頃にパフォーマンスが低下した理由として、「以前より疲れやすくなっている」と口にしていたと言います。
現在でも真偽は明らかになっていませんが、上記の理由から本田選手はバセドウ病に苦しめられていたのではないかと噂されています。
③田中角栄
非エリートであり労働層の星として、日本人らしからぬ苛烈な行動力を発揮し続け今なお慕われている田中角栄さん。
20代で議員に当選した彼は、生来の行動力、リーダーシップを発揮して周囲の支持を集め、ついには1972年、第64代総理大臣にまで登り詰めます。
しかし、その翌年ごろには既に周囲から心配の声が上がっていました。
彼はもともと汗かきな人間でしたが、それは総理大臣に就任してからますますひどくなっていたのです。
その他にも精神的に不安定な言動が見られたり、体調を崩すことが多くなっていました。
今までにない量の発汗や突然精神が不安定になるといった症状は、まさにバセドウ病の症状と一致していました。
それでも内閣総理大臣という重責を担い続けた田中角栄さんは、やがてストレスから酒量が増え、脳梗塞に倒れることになります。
直接の死因は脳梗塞と言われていますがそのストレスの原因の一環として、人知れずバセドウ病と闘い続けていた孤独があったことは想像に難くありません。
④立川志らく
立川談志に師事し、現代落語の新たなジャンルを切り開いた落語家、立川志らくさん。
そんな彼は2019年、あるテレビ番組で唐突に「10年ほど前からバセドウ病を患っている」と告白したのです。
同時に無呼吸症候群であることも告白し、話題を集めました。
しかし本人のポリシーなのでしょうか、休養などはせずに投薬による治療で症状を抑えながら今も第一線で活躍しているのです。
⑤三浦泰年
三浦知良の実の兄でもある彼はJリーグ発足前から日本サッカーを支えた名選手の一人。
その実績から、彼は清水エスパルス結成の際、初代キャプテンに抜擢されることとなります。
しかしバセドウ病に苛まれていた彼がその試合のピッチに立つことはありませんでした。
それでも以降は治療を続けながら日本代表に選出されるなど活躍を見せましたが2003シーズンを最後に引退。
以降は各クラブの監督・コーチとして後進の育成に努めています。
⑥山下拓実
人気バンド、MAGIC OF LiFE(マジック オブ ライフ)のギタリスト、山下拓実さん。
彼は2017年、日課のトレーニングを行っていた際に自身の体に異変を感じます。
マネージャーに相談し、病院で診察を受けたところバセドウ病であることが発覚。
彼の場合の原因は極度のトレーニング。
「やると決めたらやりすぎてしまう」本人の性格も災いしたようです。
バンドメンバーと話し合って治療に専念するため休養を決めた彼はその後無事に復帰し、ファンに元気な姿を見せ続けているようです。
➆山崎亮平
高校卒業後すぐにプロ入り、U-19選手権で驚異的な活躍を見せつけた山崎選手。
華々しいプロ生活を歩むはずでしたが、2009年、彼をバセドウ病が襲います。
治療を行うためチームから長期の離脱を余儀なくされ、それが原因となって北京オリンピックメンバーからも落選してしまいます。
2011年にも症状が再発し、またも離脱。
ファンの中でも引退の二文字が頭をよぎりましたが、同年9月にはピッチに復帰し復活のゴールを決めるのです。
それから症状は悪化することなく、彼は現在もJ3でサッカーを続けています。
⑧増田成幸
大学時代に自転車の魅力に取り憑かれた彼は、実績を積み2005年にプロとしてのキャリアをスタートさせます。
海外を転戦し、夢を追い続ける増田選手でしたが2017年にバセドウ病を発症。
選手生命が危ぶまれる事態となりましたが増田選手は「自分に課せられた試練だと受け止める」と言い治療に専念。
同年復帰した後は活躍を続け、なんと東京オリンピック日本代表の座を掴み取ったのです。
【女性】バセドウ病の芸能人19選!美形が多い?
バセドウ病は比率でいえば男性1:女性5と、圧倒的に女性がかかりやすい病気です。
別名「美人病」とも言われているバセドウ病と向き合ってきた有名な女性たちを紹介します。
①絢香
2006年にデビューし、瞬く間にその圧倒的な歌唱力で時の人となったシンガーソングライター絢香さん。
そんな彼女は2009年、デビュー翌年からバセドウ病を発症していたことを告白。
治療に専念するため同年の紅白歌合戦を最後に音楽活動を休止します。
その後の絢香さんは2011年に復帰し、治療を続けながらではありますが自分のレーベルを立ち上げるなどして音楽活動を続けています。
②愛内里菜
2000年、名探偵コナンの主題歌に起用された楽曲で人気となったアーティストの愛内里菜さん。
そこから精力的に活動を続けますが2010年、自身のバセドウ病を理由に引退を発表。
ファンに惜しまれながら、ステージを去ることになりました。
しかし2013年、症状が緩和したためメディアへの出演を行うと、そこからは体調を考慮しながらも音楽活動を再開、現在もタレント、アーティストとして活動しています。
③渡辺満里奈
渡辺満里奈さんはおニャン子クラブとして芸能界へデビュー、その後はタレントとしてドラマ、バラエティー、歌手活動も行うなどマルチに活躍した女性芸能人です。
そんな渡辺満里奈さんですが、2021年にあるバラエティー番組に出演した際の容姿が話題となりました。
笑顔に力がなく、頬はこけていたため、体調を心配する声が続出。
夫の名倉潤さんもうつ病を患っていたため介護疲れではないか。
極度のストレスからバセドウ病を発症したのではないかなど様々な意見が飛び交いました。
本人からのコメントは発表されていませんがバセドウ病には急激に体が痩せてしまう症状もあることから、今もファンからは心配の声が上がっています。
④夏目雅子
世代なら知らない人はいない美貌を持ち、ドラマ「西遊記」の三蔵法師役で話題となりました。
そんな夏目さんは人気絶頂の折、バセドウ病に罹患。
手術を行いますが完治には至りませんでした。
それどころかバセドウ病が体の免疫力を低下させ、急性白血病を発症。
闘病を続けますが1985年、27歳という若さでこの世を去ることになります。
➄鈴木明子
フィギュアスケートの日本代表としてバンクーバー、ソチと2大会連続でオリンピックに出場した彼女。
彼女は現役時から摂食障害を患っており、体調の管理に苦労していたと言います。
ある時は栄養を摂取できないため眼窩がくぼみ、目がギョロっと飛び出したようになってしまうことも。
そう、バセドウ病の症状に似ているのです。
このことから彼女はバセドウ病患者ではないかというウワサが流れたようです。
⑥岩崎宏美
数々のヒット曲で知られる昭和の歌姫、岩崎宏美さん。
彼女は2001年ごろから多汗、動悸など今までにない症状が出ていることに気づき検査を行います。
結果、バセドウ病、そして同じく甲状腺異常症である橋本病の二つを併発していることが判明しました。
今でも完全な回復には至っていませんが、投薬での治療を続けながら歌手を続けています。
➆篠崎彩奈(AKB48・チームK)
2011年にAKB研究生としてデビュー。
そこからアイドルとして精力的に活動を続けていたが2016年、体調不良により受けた病院での検査でバセドウ病と診断されます。
治療を行うため一時活動を停止しますがなんと同年に復帰。
アイドルとしての根性を見せつけファンを大いに喜ばせたのです。
⑧小林歌穂(私立恵比寿中学)
2012年、12歳でスカウトされ芸能界へと飛び込んだ彼女はジュニアアイドルとして人気を博し、私立恵比寿中学に加入。
順調に活動していましたが2016年に軽度のバセドウ病であると診断されてしまいます。
大事をとってライブなどの開催時はダンスなどには参加せず歌唱のみを行う、といった形で対応。
現在の症状は、回復傾向にあるようです。
➈美奈子(ビッグダディの元妻)
お茶の間の話題をさらったビッグダディ。
その元妻である美奈子は2014年、自身のブログでバセドウ病と診断されたこと、こどもたちや今後のことを考え、甲状腺の全摘出手術を行うと決意したことをあわせて発表。
全摘出手術にはリスクもあるため心配する声が多数上がりました。
幸い手術は無事に成功し、現在までのところ予後にも大きな症状は出ていないようです。
➉安藤希
安藤希さんは子供の時からCMや子役モデルとして芸能界で活動しており、のちにはCDデビューも果たしています。
2008年に芸能活動は引退してしまいましたが情報発信の場として自身のブログは継続。
その中で2016年、自身がバセドウ病であることを告白しました。
⑪伊藤裕子
大学在学中に女性向け雑誌「JJ」のモデルとしてデビューした伊藤裕子さん。
芸能活動を続けていきその後一般男性と結婚、出産。
産休後には芸能活動を再開しますが、その際に出演した番組での姿が以前と違いすぎると注目を集めます。
頬骨が浮き出るほど顔が痩せており、目元が窪んで眼球が少し飛び出しているような印象。
この急激な容姿の変化について老化だけでは説明できないとしてバセドウ病が疑われたようです。
⑫増田恵子
元ピンクレディーとして絶大な人気を誇っていた増田恵子さんは2005年に20年以上前からバセドウ病を発症していたことを発表しました。
治療により病状は落ち着いていましたが2003年には症状が再発。
そしてなんと2010年にはメニエール病というリンパの病気も併発してしまうのです。
それでも本人の努力と投薬治療により現在どちらの病気も症状は落ち着いているようです。
⑬宮村優子
エヴァンゲリオンの声優として知られている宮村優子さんもバセドウ病に悩まされた一人です。
順調に声優としてキャリアを積んでいた2007年、彼女に突然バセドウ病の診断が下ります。
しばらく仕事の傍らで治療を行っていましたが2013年頃、一時は舌の呂律が回らなくなるほどに症状が悪化。
本人は当時決まっていた仕事の降板も考えたそうですが、周囲の理解もあり治療に専念することになりました。
無事に症状は緩和され、人気声優として現在も活動されています。